岩忍の顔が曇った。
「敵だ! 気を付けろ! おれたちは同じところをグルグル回ってるぞ!」
「気付くのが遅いよ」
紅は形の良い唇を笑みの形にし、攻撃開始の合図を送った。
密林のなかを随分と迷わされて消耗していた岩忍たちは、幻術に長けた部隊の前にひとたまりもなかった。
自軍から近いところへの補給に慢心して、護衛部隊を強化していなかったのも敗因だろう。
頂けるものは頂き、使えないものは徹底的に廃棄し、紅の部隊は仕事をおえて木の葉隊に戻った。
「お疲れ〜。補給が倍だね〜。功績、功績」
木の葉隊の指揮官は、そちらだけを外気に晒した右目を弓なりに細め、労をねぎらった。
「倍ってことは、こっちの補給も着いたのね」
「おお。人員も入れ替えだ」
アスマがいつものように煙草を燻らせながら現れた。
「疲弊した忍を里に還して、元気なので、向こうさんが補給が来なくてがっくりしてる間に軽くたたいて、火影様に和議をお願いしますかね」
写輪眼の指揮官は、のんびりと言う。
今回は小国同士の争いで、火の国と土の国の戦争ではない。
木の葉も岩も、戦闘力として雇われているだけである。
指揮官に任じられたはたけカカシの戦い方は、わかりやすかった。
自軍の補給線を強固に確保し、相手の補給線を潰す。
相手戦力を弱らせたところで、火影から雇い主である大名に和睦を持ちかけさせる。
単独任務では奇策を用いることも無茶もするが、指揮を執るカカシは、戦術より戦略に重きを置き、自軍の損失を少なくすることを第一としていた。
上忍になってみて、それがどれだけ凄いことなのか、紅は実感した。
多くの部下を指揮し、また上忍師を経験して、カカシの凄さを知ったのだった。
「了解。先陣はまた私のところに切らせてよ」
指揮官への信頼は士気をあげる。
カカシは、こどものように小首を傾げた。
「うーん、紅には過重労働させてるしねー」
「先発隊はおれがやる。紅、おまえさんも帰還部隊に入れ」
唐突にアスマが言った。
紅はアスマにではなく、カカシに向きなおった。
「私では不足? 何かミスをした? ミスをすると判断する?」
矢継ぎ早の質問に、カカシではなくアスマが答える。
「疲れきる前に交代だってんだ。わかってるだうが。木の葉にはそれくらいの底力がある」
「私は指揮官殿にきいてるのよ。あんたにじゃない」
紅は眦を上げて、アスマをにらむ。
「めんどくせえ女だな。わかりきったことだろうが」
アスマが苦い声音で言う。紅の声が激した。
「今、女かどうかは関係ない!」
「まあまあ、お二人さん」
カカシは、戦場だとは思えないほど呑気な声を出す。
「素直になりなさいよ。アスマは紅が心配で心配で、紅の分も自分が働くから安全なところに帰ってほしいと言いたいわけだし、紅はアスマに危険な戦いをさせないために、自分が先頭切って働きたいわけよね。翻訳すると」
「「なっ!」」
アスマも紅も絶句して、カカシの顔を見やる。
カカシは、まるで幸福の絶頂にいるかのような笑顔を見せた。
「戦場はね、照れたり駆け引きしたりしてる時間は、あーんまり無いのよね。オレの経験からすると」
先刻とは違う意味合いで、アスマも紅も物を言えなくなる。
二人とて、戦争の素人ではない。
だが、6歳から中忍として忍界大戦に従軍し、大事な人を失ってきた男の言葉に、ありきたりの返答は出来なかったのだ。
「先発隊は別のとこに行かせるからね。再会を祝しなよ。隊長命令」
カカシは、意地悪さを含ませた笑みを顔にのせ、そのまま消えた。
どことなく、気まずい思いで、紅とアスマは顔を見合わせる。
「えい、ちくしょう!」
アスマが、土に煙草を投げ捨て、靴の踵で踏み消す。
そのまま、戦いでも挑むような表情で紅に向かい、逞しい腕を伸ばした。
紅の身を、その腕の中にすっぽりと埋めると、細い声で呟いた。
「会いたかった」
紅は、強く背を抱きかえした。
「私だって」
アスマとのキスは、当たり前みたいに煙草の味がした。
カカシの作戦通りに戦況は進んだ。
補給線を断たれることは、生命線を断たれることだ。
岩忍を雇った国主は、不利な条件の和睦を受け入れた。
戦争が、木の葉と岩の忍にとってはランクが高くて厄介な任務が、終わる。
木の葉隊の指揮官は、アスマや紅くらいにしかわからない程度だが、浮かれている。
大事な人をすべて殺されてきた男。けれど、今は里に大事な守るべき者を持っている。
「おれらのときは、あんなに余裕ぶっこいてやがったがよ、補給人員にイルカが来てみろ、心配で公私混同かまわず半狂乱になってたぜ」
アスマが紅に囁き、紅は笑って頷いた。
天使も避けて通る戦場で。
天使も避けて通る忍びの隠れ里で。
天使が避けて通っても。
人は愛を紡ぐ。