まだ寒い季節、アカデミーの講義が終わった放課後、ナルトがイルカを訪ねて、職員室に来た。
いつものように、自分の活躍を語りにきたのではないらしく、何やら落ち込んでいた。
イルカが、よくよく尋ねてみると、ナルトは、印の名前をちゃんと覚えていなくて、失敗をしたのだという。
アカデミー時代からナルトの学課の成績は良くなかった(はっきりいうと最下位だ)し、中忍試験の筆記試験を白紙で通過したのも有名な話である。
「つったって、基本的な印の名前くらい覚えてなけりゃ、まずいだろううよ。おめえは」
イルカは、深々と息を吐く。
「いーんだってばよ。実戦では、ちゃんと術になるってば」
ナルトは、拗ねたように言う。
「良くねえよ。アカデミーでどんな教育をしてたんだって、俺の、いや、アカデミー全体の名誉にかかわる! ナルト、少し、勉強しろ!」
「えー、イルカ先生まで、カカシ先生と同じこと、言うってばよ」
「なに?! カカシさんに言われてるのか! なおさら、恥ずかしいじゃねえか! よし、特訓だ」
「えー、おれってば、巻物、嫌いだし」
明らかに不満そうな顔を、ナルトはする。
「馬鹿か。おめえは。巻物は好き嫌いの対象じゃねえだろ」
イルカは、腕を組んだ。
「しかし、まあ、なんだな、巻物、見たとたんに勉強する気がなくなるってのも、わからんでも、ないな。本にするか? 今は、いい問題集や参考書が、たくさん、あるからな」
「わかんねーよ、そんなの」
ナルトは、小声で呟く。
「まかせろ。俺も、アカデミー時代は、勉強は得意でなかったからな。出来ない子でも出来るようになる問題集、選んでやる。これから、本屋に行こう」
「イルカ先生、一緒に行ってくれるのかってば!」
急に、ナルトは顔を輝かせた。
新学期を控えているせいか、本屋には親子連れが幾組かあった。
「これじゃないの? プリントに書いてあったの」
「違うよ。こっち」
ナルトは、そちらをちらり、と見てから、慌てて視線を外した。
「ほら。おめえは、この『絵で見る忍術』からだ」
ことさらに、イルカは大きな声で言う。
「げ。小さい子用だってばよ。これ」
「基礎がいちばん大切なんだ。次は、このあたりだな。『独りで覚える忍術集』」
「これが独りで覚えられたら、苦労しないってばよ」
「わからないところは訊けばいい。俺んとこまで来なくても、サクラはこういうのが大得意だし、サスケでも、カカシ先生でも、ちゃんと教えてくれるさ」
「…いまさら、こんなの訊くの、恥ずかしいってば。きっと、馬鹿にされる」
「だから、おめえは馬鹿だってんだ。知らないでいるほうが、よっぽど恥ずかしいんだぞ。それに、勉強しようとしているのを馬鹿にする奴がいたら、そいつが馬鹿だ。おまえの仲間は、そんな奴なのか?」
「違うってば! カカシ先生は、おれがきいたら、どんなことでも、ちゃんと答えてくれるし、サクラちゃんやサスケも、文句は言っても、一生懸命、教えてくれるってば!」
思わず、矢継ぎ早に語を発してから、ナルトは、はっとしたように、イルカを見上げる。
イルカは、満足そうに笑って、ナルトの金色の頭を撫でた。
「な? 仲間だもんな。だから、おまえも、自分で頑張る分は、ちゃんと頑張るんだぞ」
「うん」
照れくさそうに、本を胸に抱きしめてナルトは頷いた。
「ありがと。イルカ先生」
帰り道、ナルトがぽつん、と言った。
「おれ、初めてだってば。さっきの、母ちゃんと来てた奴みたいに、店で誰かに何かを選んでもらうの」
「……そうか」
一拍の間を置いたあと、イルカは低い声で答え、ナルトの手を握った。
「さっきのをマスターしたら、次の段階のも選んでやるな」
「ありがとう。おれ、頑張って勉強する!」
ナルトは、強くイルカの手を握りかえす。
「ほんとになあ。アカデミー時代に、今くらいやる気になってくれてたら、現在の苦労がなかったものを」
「過去は過去。未来を見つめて生きなきゃいけないんだってばよ? イルカ先生」
「おめえに言われたくねえ」
イルカは、いやそうな顔をする。
「俺は未来に生きる忍者だよ。とりあえず、いちばん近い未来として、一楽に寄っていくか?」
「わあ! イルカ先生、ご馳走様だってばよ!」
「んだよ、たまには、おめえが奢ってくれよ。俺、薄給なんだからよ」
「えええ、イルカ先生、この頃、お金持ちのセブンだって、サクラちゃんが言ってたってばよ? 今、してるマフラーも、ブランド物のカシクレだって」
「ひょっとしてセブンはセレブか? で、カシクレじゃなくてカシミアな。しかし、まあ、女の子はよく見てるなあ」
「でさ、でさ、イルカ先生、お金持ちになったのかってば?」
「ちっげーよ。これは、その、なんだ。選んでくれるひとが…」
「あれ? イルカ先生、顔が赤いってばよ」
「いや、カシミアがあったかいからな。その、なんだ。似合うのを選んでもらうのって、嬉しいよな」
「おお! それが嬉しいのはわかるってば! あ、でも、こないだ、カカシ先生は、似合うのを選ぶのが楽しいって言ってたってば。どっちが楽しい?」
「そ、そうか。カ、カカシ先生がな。そりゃ、どっちもだろ。うん。おめえも、大人になればわかる」
「そうかあ。イルカ先生、実は大人だもんな」
「実はって、なんだよ。わかったよ。ラーメンは奢ってやるよ」
「やったあ!」
そのあと、話題がうつってからも、イルカの頬の赤さはとれず、ナルトが「カシクレミアって、そんなに暑くなるのかってば?」と、純粋な疑問を呈するふうにきいてきて、イルカは、ますます赤くなったのだった。