きれいな歌を、ききたい

暑い季節ではなかった。
冬に入りかけた晩秋の、だが暖かく乾燥した天候の日だった。
紅は、ひとりで広場を歩いていた。
下忍になったか、まだアカデミー生だったかという年齢だったと思う。
正確に幾つだったかを覚えていないのだ。
「紅」
不意に、男の子の声に呼ばれた。
そちらを見ると、同期のアスマと、銀色の髪の男の子が、紅を手招いていた。
彼らは、やはり銀色の髪の、背が高い男の人と一緒に、アイスクリーム屋台の前にいた。
戸惑いながら、紅は、傍に寄った。
銀色の髪の子は、はたけカカシという名で、紅とアスマよりひとつ年下で、もう中忍であることで有名だった。
銀色の髪の男の人は、カカシの父、はたけサクモで、木の葉の白い牙と呼ばれている強い忍だ。
紅のほうは、それを知っているけれども、向こうが紅を知っているとは思えなかった。
「紅、こいつがカカシ。カカシ、こいつが紅」
紅の困惑を、アスマがぶっきらぼうな紹介で解消した。
「カカシとは、一緒になんかやったり、時々、あるんだ」
ぶっきらぼうなくせに、気配りの細かいアスマは、拙い言葉で、自分とカカシの関係を説明してみせる。
「アスマが火影様にお仕置きを喰らったの、オレが手伝ってあげたんでしょ。罰掃除とか」
カカシが、小さな唇を尖らせる。
「だから、それ、一緒になんかやるってんだろ」
アスマが、子供らしくなく言い、紅とサクモが笑った。
カカシは、今度は父に向かって怒った顔をする。
「父さまは笑ってられないでしょ。今日は、父さまの罰当番を、オレとアスマが手伝ってあげたんだから」
「あー、はいはい。ありがとね。だから、お礼にご馳走するって」
サクモは、柔らかく笑んでいる。
暑くはなかったが、乾燥した日だったので、アイスクリームは喉に魅力的だった。
「紅も、一緒に食べよう。何がいい?」
カカシが、紅に向かって笑いかけた。
幼い頃、カカシは誰よりも人懐こい子供だった。
後の印象で、皆、それを忘れてしまっているけれども。
可愛らしい顔で笑われ、紅は困った。
「私、何もしてないもの。もらえない」
カカシは言う。
「みんなで食べたほうが美味しいから、いいんだよ。イルカの分、あげる」
「イルカ?」
突然、出てきた名前に紅は驚嘆した。
サクモは身を二つに折って、笑っている。
アスマが、めんどくせえ、と言いながら、紅に教えてくれた。
「イルカってのは、うみのさんとこの子。ちっちゃい子」
その子をカカシは弟のように思っていて、いつでも、本人がいないときでも、イルカの分、と用意するのだそうだ。
「だって、イルカはオレが守るって、イルカのお父さんとお母さんと約束したんだから」
誇らしげに、カカシは宣言する。
「じゃあ、イルカくんの分は、どうするの?」
紅が問うと、カカシはまた、にっこりと笑った。
「オレの分、あげる」
理由はわからなかった。
だが、紅は胸が痛くなった。
何故だかは、わからないのに。
「めんどくせえ。いいよ、紅。おれの、やる」
アスマが言った。
「おれのだったら、全部、どれでも、紅にやるよ」
「……ごめんなさい」
紅は、泣きたいような気持ちで謝った。
カカシがまた、無邪気に言った。
「ごめんなさい、じゃなーいよ。ありがとうだよ。こういうときは」
「…ありがとう」
小さな声で、紅は言った。
「じゃ、ま、アスマくんには、おれのをあげるね。もともと、おれの罰掃除を手伝ってもらったんだもんねえ」
サクモがのんびりと言った。
「そうだよ。最初から、そうすればいいんだよ!」
と、カカシとアスマの声が合った。

いい時代ではなかった。
誰も、ラッキーなほうではなかった。
死ぬより辛い目など、何回も遭った。
そんなとき、紅は、あの情景を思い出すのだ。
晩秋のあたたかい光の中で、アイスクリームを舐めるこどもたち。
優しく見つめる、銀髪の男。
心が震えるような喜びや、幸福な記憶はもっと他にあった。
だが、どうしようもなく、きれいな歌をききたい、そんな気分になったときには、あの情景が瞼の裏に浮かび上がってくる。

それは、きれいな歌のような情景。

これがある限り、自分は、いつでも自分であれるような気が、紅はしている。

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