ジムノペティア

はたけカカシは、うみのイルカとまだ個人的な会話を交わしたことはなかった。
ナルトの、アカデミー時代の担任と担当上忍、それだけの関係しかない。
だが、ろくに口をきいたことさえないのに、カカシは里にいる間じゅう、イルカをさがす。
イルカの住む部屋をつきとめ、その扉の前でじっとイルカの気配を感じることも稀ではなくなっていた。
夜半、受付にもアカデミーにも、さらには自室にさえイルカの気配が無かったので、カカシは第一種警戒状態並みの緊迫感でイルカを捜索した。
イルカは、アカデミーの備品らしき物が、雑多に積んである部屋にいた。
備品というより、捨てるに捨てられない記念品のようなものだろうか。
何年も何年も使われた様子はなく、埃がうず高く積もっていた。
そのなかで、イルカは音を出していた。
音を出すそれが何かは、カカシにも知識としてある。
足踏みオルガン。
ふいごの原理で音を出す楽器。
途切れ途切れのその音が、どこか悲しげなのは何故だろう。
旋律そのものがもたらす感情?
調律もされずに音が狂っているせい?
イルカがオルガンの前に座って足を動かしながら弾く調子はずれの曲に、カカシは思いを馳せる。
ジムノペティ。
そんな名前だったと記憶している。
だるいような、憂鬱そうな、それでいて美しい旋律。
昔、スリーマンセルの先生、波風ミナトが弾いてくれた。
きちんと調律された、ぴかぴかのグランドピアノで。
後に四代目となるカカシの師は、なんでも出来る人だった。
何をしても一流になってしまう人だった。
ジムノぺディという題名だよ。ジムノペディアっていう古代のお祭からとったんだって。
ミナトが教えてくれる。
こんな寂しい感じのお祭だったんですか?
少年のカカシが問う。
さあ。お祭は、華やかで賑やかだったと思うけど。
ピアノの音が響く。
音楽家がどういう気持ちで題をつけたのかはわからないけど。
華やかであればあるほど、時が過ぎ去った後は寂しいよね。
そう言って、曲が終わると、今度はテンポの速い楽しげな曲を弾いた。
後の曲の名は、覚えていなかった。
ジムノペディは、はっきり覚えていた。
若い、若いままで逝ってしまった師。
最期まで、笑っていた。
笑った顔しか、思い出せない。
もう一度、イルカは、同じ旋律を最初から弾きはじめた。
風が送りこむ音は、なおのこと寂しげで、悲しげだ。
カカシは、そっとイルカの背後から近づき、そのまま抱きしめた。
音が止まる。
「どうして、俺のことを追いかけてばかりいるんです?」
小さなため息をついてから、イルカが言った。
「あなたが好きだから」
するり、とその言葉が落ちた。
育って、熟して、落ちる瞬間を、今か今かと待っていた果実のように。
「あなたのことが、好きだから」
少しだけ語を変え、カカシは言いなおす。
イルカは、はっきりと嘆息した。
「変な人ですね」
カカシは、イルカを抱く手に力をこめる。
「そうですね。だけど、好きになってください」
「変な人を好きになるのは、もっと変な人ですよ」
「もっと変な人になってください」
くすり、とイルカは笑った。
「俺はこれ以上、変な人になりたくなかったんですけれど」
「なってください」
イルカは、お祭みたいな笑顔になった。
カカシはイルカの向きを変えさせて、キスをした。
押された鍵盤が、風が抜けるような音を出し、その音はすぐに絶えた。

ジムノペディア。
古代の神々を、全裸で踊り讃える祭。
ジムノペディアの祭は、これから始まる。

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