怖がり
 
「そのとき、掛け軸のなかの落ち武者が、かっと目を見開いたのである!」
それらしい音楽の音量が上がり、重厚なナレーションが盛りあげる。
寝転がっていたカカシは、心持ち、身を乗りだす。
「また、そんな、くだらない番組を見て!」
音楽もナレーションも消しつくす大声が、耳もとでした。
用事をおえたイルカが、居間に戻ってきたようだ。
「もう、馬鹿馬鹿しい。幽霊だの亡霊だの怪奇現象だの、そんなのあるわけないでしょ」
イルカは、なぜか、ぷりぷり怒っている。
「んー、無いとも言いきれないんじゃないです? これは、オレが戦場で経験したことなんですけど」
「それは! 高揚した精神が産み出した脳の錯覚です! 錯覚、すべては錯覚なんです! 井上円了先生が実証したんです! この世に妖怪などない、この世の中に不思議なことなど何もないんだって!」
カカシが、何があったのかを話しだす前に、イルカは鋭く断じる。
「そうですねー、オレも、どっちかというと、そういった脳の生理学や、怪談を好む人間の精神構造のほうに、興味があるんですが」
のったりと言いながら、カカシは軽がるとイルカのからだを抱えこむ。
「か、カカシさん。いきなり、なんですか」
口では言っているが、本気でイルカは抵抗しない。
心なしか、カカシのシャツをぎゅっと握りしめている。
カカシは、イルカに気付かれないように笑みを浮かべる。
 
現実主義者のイルカ先生は、怪談など馬鹿馬鹿しい、と嫌っているが。
 
実は。
 
物凄く、怖がりなのだ。
ということを、カカシは、とっくに見破っていた。
イルカは、決して決して認めないけれど。
それが可愛くて、わざと怪奇特集を見るのだ、なんて、これは内緒だ。
 
 
 
「あなたは嫌がるかな? 怖がりだから」
窓辺に佇むイルカに、カカシはそっと話しかける。
そのイルカは、見るからに弱々しくて生命力に欠ける。
カカシと視線を合わせることもなく、笑いもしない。
「でもね、オレ、耐えられないんですよ。あなたがいない、なんて。こんなあなたでも、どうしても、傍にいてほしいんです」
イルカの姿は、光に揺らめいている。
任務についたきり、イルカは戻らない。
「ずっとずっと一緒ですよ。……あなたが、どんな姿になっても」
カカシは、うっとりと呟く。
 
 
 
「うぎゃああああああああああああああ」
夜のしじまに、絹どころか帆船の帆でも引き裂いてしまいそうな悲鳴が響きわたった。
扉を開けたなり、イルカが腰を抜かしている。
「お、おれだあ。おれがいる! ドッペルゲンゲルだあ。自分で自分を見た者は、三日以内に死ぬというドッペルゲンゲルだあああ。おれ、死ぬんだあ」
「落ち着いて、落ち着いて。イルカ先生。どうして、怖がりのくせに、そうオカルト知識に詳しいのかな〜」
「だ、だれが怖がりだってんです!」
支えるカカシの手にすがりながら、それでも強気なイルカがいる。
「はいはい。怖がりはオレですよ。あなたに叱られると、怖くて泣きそうになります」
イルカを助けおこし、カカシは「解」を唱える。
窓辺のイルカは消えた。
「変化と影分身を組み合わせて作ってたんです。チャクラをあんまり使わないようにしたんで、あんな薄い、微妙な姿になりまして……」
「なんちゅう、阿呆なことをするんですか!」
イルカは、ふるふると拳を握りしめている。
「だって〜、あなたが任務に行って、寂しかったんですもん。怒るかなーとは思ったんですが」
「怒るに決まってるでしょうが」
「あ〜、やっぱり怒ったイルカ先生は怖い〜。オレ、怖がりなんですよ〜」
口では言いながら、カカシは、ひどく幸せそうに笑った。
 
 
怖かったらしい。
寝台に入っても、イルカはカカシにしっかり抱きついて眠っている。
カカシは、イルカの背をそっと、たたく。
 
世の中に不思議なことなど何もないと思っていたのは、カカシ。
でも、腕の中にいるこの存在は、不思議で不思議でしょうがない。
そして、彼をこんなにも愛しく想う自分の気持ちも、不思議だ。
 
この世に怖いものなど何もなかった。
でも、今は、イルカを失うことが怖い。
何よりも怖い。
ほんとうに、怖がりになった。
 
 
怖がり同士。
このまま、ずっと抱きあっていましょうね。
声に出さずに唇だけで囁き、カカシもイルカをしっかり抱きしめて、幸福な眠りにおちた。
 
 
 
石野司さま、リクエストをありがとうございました。
 
 
 
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