眼前に立つイルカを見て、カカシは眉を潜めた。
「なんだって、あなたが来るんです?」
イルカは、むっとしたように声を荒げる。
「なんだっても何も。特に変化を得意として、いま動けるのなんて、おれくらいしか、いませんよ」
イルカが言い終わるか終わらないかのうちに、カカシはイルカを抱きしめた。
ふわり、と。
イルカの耳に囁く。
「いいですか。オレはね、あなたのいる里を守ってるんです。守るべきあなたが、オレと一緒に来て、どうするんですか」
低く、イルカが呟く。
「同じように、おれがあなたを守ろう、と思わない、とでも、思ってるんですか」
カカシは、イルカの頬に、軽く触れるだけのキスをして、笑みを作った。
「しょうがないですね。危ないところに行ったり、危ないことはしないよ―に」
これから任務に赴くうえで、それは無茶な注文というものだったが、イルカもまた微笑し、はい、と頷いた。
船上パ―ティ―の夜は、果てることを知らなかった。
贅沢の限りを尽くした遊び。
極限まで着飾った人々。
そのなかでも人目を引いたのは、銀髪の青年と黒髪の美女だった。
長身痩躯の銀髪の青年は、右目は濃紺だったが、左目が赤かった。
しかも、その左には、頬に達するまでの縦の傷がある。
その傷をもってしても、いや、傷があるからこそ、優雅な美貌が際立っていた。
黒髪を結いあげた、黒い瞳の女性は、どこか清楚で、可愛らしさを感じさせる美しさだった。
彼と彼女は、それぞれが異性に取り囲まれていた。
この船上パ―ティ―の主催者は、大名でこそ無いものの、同等の財力と政治力を持った男だった。
黒髪の美女が、その主催者の船室に招かれるのを、客たちは、当然の面持ちで見守っていた。
銀髪の青年もまた、別種の男たちに招かれていた。
「木の葉の、はたけカカシだな。我々と一緒に来てもらおう」
銀髪の青年は嘆息した。
「やれやれ。本来、忍ぶべき者がこんなに名と顔が売れてるのは、つくづくどうかと思うよ」
身体を拘束され、銀髪の青年はもう一度ため息を吐いた。
「あなたのような女性に、会いたかったのだ」
黒髪美女の顎をとらえ、男は、うっとりと呟く。
黒髪の美女は、にっこりと笑って言った。
「こちらは、ような、が付かずに、あなたに会いたかったですよ〜。そりゃ、もう、何ヶ月も前から」
その人を食ったような言に、男が眉根を寄せる。
「そのような物言いは、私は好かんな」
「別に気に入ってもらう必要は、ないんで―ね」
声音が違った。
女性のものではなく、先刻までの声質とも違う。
その掌が、光を集めていく。
男が、ひきつったような声を出す。
「見掛けで騙されて、警戒を解いた者の負けだ」
ちちち、と鳥が鳴くような音。
雷を切ったという技。
悪夢のような掌が、男の心臓をえぐる。
男は、それとも知らぬうちに、命を落としていた。
「はー、やれやれ。ほーんと、この姿を拝ませてやっただけで、万死に価するね。さーて、本物のお姫様を、救いに行きま―すか」
呑気に独語しながら、変化を解くと、そこには長身で銀髪のカカシがいた。
銀髪の青年もまた、仮の姿を解いていた。
黒髪、黒い瞳の、鼻の頭に一文字の傷がある、無骨だが優しさも滲むような青年。
アカデミー忍術講師のイルカである。
「なに?! 写輪眼じゃない?!」
とらえた者たちは、慌てふためく。
「最初っから、んなもん無かっただろうが。見掛けに惑わされるな。名に踊らされるな。おれの生徒なら、おめえら全員失格だ」
歯切れ良く断じながら、イルカは男たちを倒していく。
「あ、危ないことしねえってカカシさんと約束だったのにな。ま、いいか。こんくらい、危ねえことには入らんだろ」
その自分への言い訳が、聞こえたかのように。
カカシが姿を現した。
「もお〜、イルカ先生。危ないことしちゃだめって言ったでしょ」
「すみません」
なんとも気の抜けた会話の間にも、一人二人、瞬殺する。
「依頼は完了しました。さ。雑魚に構ってないで、退散しましょ」
カカシは、イルカの手を引く。
「ふん。この沖から、どうやって逃げようというんだ。いくら忍といっても」
悔し紛れのように、口の端から血を流しながら男たちの一人が嘲笑する。
「なあんて、安心してるから、あっさり殺られるのよ」
「安心はいいが、慢心はいかんぞ」
男は押さえつけられ、教師口調で説教までされる。
そのとき。
バラバラバラ、と派手な音が響いた。
それは、次第に近づいてくる。
カカシは、イルカを抱きこむようにして、飛んだ。
甲板の上では、ヘリコプターが静止していた。
ホバリングがせいっぱいで、着陸は出来ないようだった。
カカシが、運転席に向かって手を振ると、縄梯子が降りてきた。
イルカを片手で抱えたまま、カカシは、もう一方の手で縄を掴む。
「カ、カカシさん。離してください。おれ、自分で」
「ダ―メ。あなた、チャクラ、切れかかってるでしょ」
「……バレてましたか」
「上忍の殺気まで、出してたからね〜。はたけカカシ、ここにありって」
「そういう作戦でしたからね」
「もお、オレとしては、気が気でなかったですけどね。可愛いあなたの姿を、スケベ野郎共に視姦させとくなんて」
「し、し、視姦!? なんてこと、言うんですか! おれこそ、あの姿だと、女の人が、嫌になるほど次から次に寄ってくるんで、普段のあなたを思うと!」
「あ、妬いてくれてんの〜。かあわいい〜」
「妬いてなんか、いません!」
イルカが、真赤な顔で怒鳴る。
カカシがにやにやしながら、さらに言い募ろうとしたとき、運転席から声がした。
「青春はそのへんにして、上に昇ってくるのだな。来なかったら、このまま、木の葉まで飛ぶぞ」
永遠のライバルの言葉に、カカシは、ますます笑った。
「いいね〜。このままってのも。映画みたいでしょ」
「勘弁してください」
イルカが、カカシの腕のなかで、じたばたと暴れた。
カカシは、決してイルカを抱く手を緩めようとはしない。
海を黄金に染めていく朝日に向かって、ヘリコプターは小さくなっていき、やがて黒い点になって消えた。