そろそろ寒々しい印象になってきた窓辺の風鈴を、イルカはまだ降ろせないでいた。
カカシが、その音を好んでいるからだ。
イルカがいない間、ずっと聞いているようだった。
朝、イルカが窓を開けて出かける。
帰ってきたときに、窓が閉まっていることも、カカシが窓辺から離れていることも、ほとんど無い。
寝巻きを着崩してしまった、しどけない格好で壁にもたれ、ぼんやりと窓の外を見ている。
帰るとすぐに窓を閉め、カカシの着物を直し、それから、夕食の支度にかかるのが、最近のイルカの日課になっていた。
今日も、窓を閉めようとして、カカシの白く長い指に、小鳥が戯れていることに気付いた。
この、人への馴れ具合からすると、どこかで飼われているものが紛れ込んできたと考えられる。
「カカシさん、外に放しましょう。その子、きっと帰る家のある子ですよ」
イルカが言うと、カカシは素直に指を引いた。
軽く、イルカが手で払うと、小鳥は、窓から外に飛んでいった。
それを、イルカは目で追う。
完全に、鳥の軌跡が消えてから、そっと窓を閉めた。
「おるごおる」
もう、小鳥には関心を失った様子で、カカシはイルカに、いつもどおりにねだる。
「はい。ちょっと待ってくださいね」
これもいつもどおり、イルカはカカシの衣の乱れを直して、音響セットのスイッチを入れた。
高く澄んだ音が、室内に満ちる。
カカシが、あまりに風鈴の音にひかれているので、こうした音域がいいのだろうか、と、イルカは「オルゴールの調べ」なるディスクを求めてみた。
グラスサウンドとも銘打っていて、金属的な高い音が重なり、柔らかなハーモニーを奏でる。
案の定、いたくカカシのお気に召したらしい。
イルカが居るときは、「おるごおる」と、いつまでも、これをかけることを要求する。
独りの時間に、カカシが、自分で操作することは無いようだった。
もともと、イルカの部屋には不似合いなほど、高価で高品質の音響セットはカカシが持ち込んできたものだったのだが。
ヒマがあってもなくても、玩具で遊ぶ子供の顔で、音響機械をいじり続けていたものだったが。
今、彼は、音を出すことには興味が無く、音そのものしか必要でないらしい。
しばらく音を追っていたカカシは、不意にイルカの顔を見つめて、これもまた定番になったおねだりをする。
「おにぎり」
「わかってますよ」
イルカは微笑む。
カカシは、具の入っていない塩だけのむすびなら、自分から食する。
それも、イルカが居るときでないと、だめなのだが。
他のものは嫌がって、むりむり、イルカが口まで運んで食べさせるのだが。
なぜか、塩だけの、真っ白なおにぎりは、カカシが自分から欲しがる。
「はい。こっちも食べてくださいね。そうしたら、おにぎり、あげますから」
菜をちゃんと食べたら、おにぎり、一個。
汁をちゃんと飲んだら、おにぎり、一個。
薬をちゃんと服んだら、おにぎり、一個。
それが、毎度毎度の食事の風景になっていた。
Sランクとはいえ、カカシには通常の任務だった。
それを、きちんとこなし、ひどい怪我や術に掛かった形跡もなかったのに、カカシは心神を喪失してしまった。
命の危険はない、と医療班は言った。
「うんと甘えさせておやり」
綱手は言った。
白い肌は、すぐにその白さを増し、戦闘用の筋肉が削げていく。
イルカは、カカシの身を抱きしめる。
「治らなくていいです。ずっと、ずっと、このままでいてください」
澄んだ風鈴とおるごおるの音を聞き、真っ白なおにぎりを食べて、小鳥と遊び。
綺麗なものに囲まれて、ただ、綺麗で。
任務に就くことも、人を殺すこともなく。
だから、イルカは何も心配しなくていい。
カカシが失われるのではないか、と、眠れない夜を過ごさなくていい。
ずっと。ずっと。
おるごおる、と、おにぎり、と。
けれど、イルカも知っていた。
ほんの、いっとき。
羽をいためた小鳥が、人の掌で大人しくしているに過ぎないことを。
遠くなく、カカシは、再び忍服を乱れることなく纏う。
栄養を摂取し、運動量を取戻して、以前よりも固い筋肉で鎧う。
鋼よりも強靭な精神が、事象を捉える。
遠くなく。
きっと、風鈴が季節外れだ、と、眉を潜められるようになる前に。
舞い込んできた小鳥も、必ず空へと飛び立っていく。
今だけ。
綺麗なものだけに囲まれて。
イルカは綺麗なひとを抱きしめる。