シャングリラ

夢を見た。
浅く短い眠りの中で、夢を見た。

そこは、森の野営地で、人が昂揚したときに発するものと、硝煙と血との匂いが混じっていた。
ああ、戦場だ。
イルカは思った。
それも最前線。
イルカは、安全なポイントを探して、おそるおそる歩を進める。
月の明るい夜だった。
自分にとって視界がひらけているということは、敵にも丸見えだということだ。
イルカは、慎重に気配を消す。
だが、よほど上級の忍であったのか。
歩哨は、捧げていた銃を構えなおした。
イルカは、目を凝らす。
すらりとした長身に戦闘服がよく似合っていた。
顔はわからないが、月の光にも負けないほど、銀色に輝く髪が目に映った。
認識した途端に、イルカは走り出していた。
向うも、同じように走ってくる。
彼は、銃を放り投げ、イルカを抱きしめた。
「……カカシさん」
か細い声で、その名を呼ぶ。
「駄目じゃないですか。こんなところまで来ちゃ」
どこか気の抜けたような、それでいて甘い声でカカシは囁き、イルカの髪を長い指が撫でる。
「会いたかったんです。どうしても会いたかったんです」
夢だと知っているから、普段なら言えないことも素直に言えてしまう。
「オレのほうが、何十倍も会いたかったですよ!」
カカシが、イルカの背を抱く手に力をこめる。
「どうして、何十倍ってわかるんです? 俺がどんなにあなたに会いたかったかなんて……」
途中で、カカシの唇に、イルカの言葉は吸いとられた。
キス。
熱く。
キス。
激しく、甘く。
キス。
息が止まるような口付けのあと、カカシはうっとりと笑った。
「ねえ、これは夢?」
「そう。夢ですよ」
イルカも笑みを返し、今度はイルカから接吻を求めた。
月が明るかった。
カカシの白い肌も、イルカの裸身も、光が照らしだす。
イルカの皮膚をすべる、カカシの長い指。
カカシが囁く。
「これが、イルカを知っている指」
「俺のことを、いちばん知っている指」
うっとりと返し、イルカは、その指をねぶる。
それが、カカシの全存在であるように。
もっとも、愛しいものであるように。
イルカの濡れた唇から、糸を引くようにして離れ、指は、イルカの最も奥を探る。
この指は、イルカを知る指。
イルカは身悶える。
やがて。
カカシは、指ではなく、イルカの奥を知る物を与える。
別々の肉体が、一つになれるのだということを確認する儀式。
快楽と。
少しばかりの罪悪感と。
快楽と。
少しばかりの背徳の意識と。
いつもより、それが強いのは、夢のせいだ、とイルカは断じた。
「駄目ですよ。こんな危ないところに来ちゃあ」
熱い肌と息で、そんなことを言うカカシがおかしくて、イルカは笑った。

目覚めたときには、イルカは自分の寝台にいた。
敷布に、己の欲望の証があって、イルカは動揺した。
こんなになるほど。
あんな夢を見るほど。
浅ましい身体。
浅ましい心。
イルカは、立てた膝の間に顔を落とす。
古歌に、夢と知っていならば目覚めなかったのに、という意味のものがある。
夢だと知っていたのだから。
覚めなければよかったのに。
ずっとあのまま、あのひとの傍にいればよかったのに。
月の明るさと。
土の冷たさと。
何より、カカシの指が、現実のもののように、イルカの皮膚に感触として残っていた。

出会ったのは、ナルトを担当する上忍としてだった。
元担任として、「先生同士」として知り合ったに過ぎなかった。
だが。
会った瞬間に、このひとなのだ、とわかった。
今まで、出会っていなかったことが、罪悪のようにさえ思った。
なぜ、このひとがいないで、生きてこられたのか、不思議にも思った。
それを、先に言葉にしたのは、カカシだった。
オレはもう、あなたなしでは生きていけません。
陳腐な言葉なのは、それが多く使われるから。
それが、気持ちを表すにあたって適当だから。
そして、それ以上の言葉も、時間もいらなかった。
二人でいることが当然になり、離れると、身を引き裂かれているように、痛い。

夢を見た。
短く浅い眠りの中で、夢を見た。
あなたと交わる夢を。

夢はそれきり訪れてこなかった。
夢に好きなひとが出てくるおまじないをなるものを、本気でやってみようかとイルカが思いつめ始めた頃、終戦の報が知らされた。
上忍たちも、戻ってくる。
カカシは、いちばん後の隊で戻ってきた。
「なんだかね〜、今回はこきつかわれましたねえ」
以前とまったく変わらない声音で、のったりとカカシは言う。
「辛かったのは、あなたに会えなかったことですかね。もう、歩哨の最中に、とんでもない夢を見ちゃうし」
笑顔でカカシの世話を焼いていたイルカの手が止まった。
「歩哨をしているときって……」
「なんかね〜。あなたが現れるんです。それで、その、まあ」
「月が明るい夜でしたよね?」
「そうです」
「土が冷たくて」
「そう……って、え?」
「駄目ですよ。こんな危ないところに来ちゃあって、カカシさん、言いましたよね」
「イルカ先生。いったい、なぜ?」
カカシが、イルカの手首を握る。
夢は、細部まで一致していた。

それは、夢だったのか。
イルカの魂が、戦場に飛んだのか。
カカシが、イルカを呼び寄せたのか。
真相は、わかりはしなかった。
ただ、同じ夜を、二人が持ったということ。
それが、事実だった。

覚めない夢を望みながらではなく。
明けない夜を願いながら、うつし身で、カカシとイルカは交わる。
夢を真似るように、カカシは、指をイルカに差し出して、戯れる。
熱を。
皮膚を。
肉を。
想いを。
感じあう。
触れあう。
交歓する。
白々とした朝陽が射してくるなかで、互いの腕を枕にしながら、イルカもカカシも眠る。
抱き合って眠っても、あなたの夢を見る。
あなたの夢を見るんだ。

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