首都にて

戦闘よりも、うみのイルカは緊張していた。
銀色の髪をした暗部に連れられ、火の国の首都に来た。
書状を届けるだけのDランク任務のはずだった。
中忍になったばかりの16歳には、不満なくらいの。
聞いていなかった。
暗部が同行するなど。
その暗部と共に、国主に謁見するなど。
国主との受け答えは、狗面を外さないままの暗部がなした。
イルカは一度、面をあげろ、と言われて顔を見せた以外は、黙って控えている。
形式的な会話だった。
隠された意味があるのかないのか、イルカにはわからない。
国主との対面はごく短時間だったが、退出したときには、一週間、戦闘に出ていたときよりも疲弊している自分を、イルカは感じた。
背の高い銀髪の暗部が、狗面の下で微笑した。
イルカには、それがわかった。
「一晩、逗留します」
暗部の物言いは常に、イルカにも丁寧だった。
これも不思議だった。
「もてなしを受けるのも任務のうちですから。まずは風呂に入りましょう」
「風呂?」
予想外の言葉に、イルカは暗部の顔を見上げる。
暗部はまた、小さく笑った。
「警戒をしなくても大丈夫ですよ」
暗部はずっとここに住んでいる者のように、慣れた足取りで廊下を行く。
イルカは、慌てて後を追った。

浴室は小さな池くらいの広さがあり、大理石の獅子の口から湯が溢れでていた。
ひらひらとした女たちが、手伝いを申し出た。
暗部が首を振って、追い払った。
「俺たち、使いの忍者でしかないのに、賓客扱いですね」
言ってから、自分「たち」ではなく、暗部が賓客に値する人なのかもしれない、とイルカは思う。
「賓客ですよ。国主様は、オレとあなたに会いたかったんですから」
「俺も、ですか?」
イルカは、驚愕の声をあげる。
「あなたのお父様は国主様のお気に入りだったそうですよ。オレは、ま、先代の火影のお供で、何度か来ていたので」
「先代の? 四代目の?」
「そうです。オレ、四代目の弟子だったので」
事も無げに言い、暗部は纏っているものを脱ぎすてた。
あっさりと面も外した。
「すみません。オレの左眼を見てください」
「え?」
ひきこまれるように、イルカは、暗部の左眼を見つめる。
右の黒い瞳と違い、赤い巴の写輪眼。
写輪眼が回る。
「これで、あなたはオレの顔を記憶できません。許してくださいね。防衛上の規定なので」
「そんな! もちろん!」
暗部が面を取っただけでも、卒倒ものだ。異議などあるはずがない。
だが、イルカは少しだけ残念に思った。
こんなに綺麗な顔を覚えていられないなんて。
銀髪に縁取られた顔は、写輪眼のある左眼を縦によぎる傷をもってしても、いや、それがあるからこそ、イルカが見たこともないほど美麗だった。
暗部は、肉体も見事だった。
鍛えあげられた筋肉。
戦士として、完璧な身体。
自分の細く生白く、子供のような肉体が恥ずかしかった。
「行きましょう」
にっこりと笑い、暗部はイルカの手を取った。

カカシ、という名を、暗部は教えてくれた。
これも忘れてしまうのか、と思うとイルカは悲しかった。
「オレは、うんと小さいときのあなたを知っていますよ」
カカシが言う。
「覚えてないでしょうね。あなたは、オレと風呂に入るのが大好きだったんですよ」
懐かしむような、それ以上に悲しんでいるようなカカシの声だった。
「覚えてないです、覚えてないですけど! そうだったんだと思います。今、俺、すごく安心してるし」
慌てて言って、何を伝えたいのか自分でもわからなくなり、イルカは顔を赤らめた。
「よかった」
カカシが笑った。
長い腕が伸びてきた。
湯船のなかで、カカシは軽々とイルカの身を抱きあげ、膝に抱く。
唇に濡れた感覚が降りてくる。
それは、イルカが初めて経験するキスだった。

「あ、や…やだ!」
「いやなの?」
悲しそうな、カカシの声。
カカシを悲しませることは、もっと嫌だった。
痛みより。
恐怖より。
カカシを悲しませることが。

「木の葉に着いた頃には、すべて忘れます」
イルカの黒髪を撫でながら、カカシが言う。
寝台は絹の敷布と掛布で覆われ、そこだけで暮らせそうなほどに広い。
涙がこぼれた。
「ごめんね。痛かったね。ゆっくり休んでください」
去ろうとするカカシの腕を、反射的にイルカは掴んだ。
「忘れません!」
イルカは叫んだ。
「忘れるけど、忘れません!」
カカシは笑んだ。
「そう、忘れても、忘れないでいて。暗部を辞めたら、必ずむかえに行くから」
そっと、触れるだけのキスをして、そのまま縺れあうようにして、そこで暮らせそうなほど広い寝台に、二人、転がった。

ずっとずっと後になって。
暗部を辞めてからさえも、ずっと時間が経ってから。
カカシはイルカと、普通の恋人同士になった。
あまりにも遅くなったことを、カカシは詫びた。
忘れても忘れていなかったイルカは、あなたの遅刻癖は有名ですからね、と肩を竦めた。

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