一目惚れをした。
美しいひとに。
一目で恋におちた。
男の、長めの黒髪は、いわゆるザンバラ髪という状態だった。
無精髭が伸び、身体中、血と汗と泥にまみれている。
そして、肩には、重傷を負った戦友を担ぎあげて。
正しい、負け戦から撤退してきました、という姿だ、とカカシは思った。
負けていないのは、男の眼の光。
黒い瞳は、生気も誇りも、何も失っていない。
カカシは暗部面の内側から、意識して柔らかく言う。
「お疲れさん。もう、敵はいな―いよ。オレらが来るの、遅くなって、ごめんね」
「ああ」
絞りだすような声を喉の奥から、男は出し、座りこんだ。
「医療部隊も、すぐに到着するから」
カカシが語を発するのを待っていたかのように、面を着けた数人が現れ、男の肩から、負傷者を引きとって、また消える。
一瞬のことだった。
男は、呆然とした表情で、カカシに詰め寄る。
「あいつ、助かりますか? 助かりますよね。助けてくれますよね!?」
「木の葉の忍なら、綱手様直伝の、医療技術の確かさは、わかってるでしょ?」
正直なところ、助かる、と断言は出来ないところだ。
だから、カカシは、そんなふうに言った。
「ああ、そうでした。あいつは助かる。助かります」
自分に言い聞かせるように、男は低く呟く。
カカシは、そろそろと男の傍に寄る。
「よくまあ、この状態で、人ひとり抱えてきたねえ。腕は折れてるし、あんたも充分、重傷じゃない」
男の腕をとって、カカシは、つい呆れた声を出す。
悪戯を咎められたこどものような表情で、男は笑った。
「身体の傷ってのあ、いつかは治ります。痛みも消えます。けど、戦友を喪ったりしたら、その痛みは一生、消えやせんでしょう」
その通りだ、とカカシは頷く。
いつまでもいつまでも、胸の奥を刺しつづける痛み。
それが、去ることはない。
カカシは、そっと男の身体を支える。
「医療の奴ら、行っちゃったから、少―し、我慢してね」
この男の痛みを、少しでも癒したい、とカカシは咄嗟に思った。
同時に、男の強く美しい命の輝きに触れたい、とも。
それが恋だと、カカシが知ったのは、ずいぶん後になってからだった。
「おまえ、髪、どうにかならんか」
受付所でアスマが、カカシの好きなようにはねて、好きなように立っている銀髪を引っぱった。
「オレは、もう諦めてんのよ。アスマも諦めてよ」
「触ると、やわっこいのにな。癖が強いったらよ。おまえの中身と一緒か」
「え〜、オレ、癖、強くないよ〜。あっさり醤油味〜」
「言ってろ」
「アスマさん!」
アスマがさらに強くカカシの髪を引いたとき、受付にいたイルカが、よくとおる声でアスマを呼んだ。
「どうぞ。報告書をお預かりします!」
「あ、ああ」
アスマは、のっそりとイルカの前に行く。
その肩越しに、イルカがカカシに向かって、にっこりと笑った。
「カカシさん、私、まだ掛かりそうですので、先に店のほうに行っていていただけますか」
「は〜い」
軽く手を挙げて、カカシは間の抜けた返事をする。
アスマが、不思議そうにイルカとカカシを見比べた。
個室型の居酒屋で、カカシは顔を覆う物を取りはらって、寛いでいる。
ナルトを介して知りあって以来、イルカとは、良い飲み友達になっていた。
カカシは、酔った勢い、を装った。
暗部で耐性訓練を受けているカカシが、酔うことなどないのだが。
「イルカ先生、受付で、アスマに妬いたみたいでしたよ〜」
「そうですよ」
清酒の杯をあおり、酔ったふうもなく、イルカは真顔で答える。
「わ〜。オレがアスマにからかわれてるの、気に食わなかったんですか?」
「気に食わないに決まってます。あんなに自然にあなたの髪を触って」
ぐい、とイルカは酒を飲み干す。
「そういう言い方すると、オレ、そういう意味にとっちゃいますよ〜」
イルカは、ふい、と横を向いた。
そして、苦く押しだすように、語を紡ぐ。
「私は、あなたに惚れてますから」
きりっと唇を噛んだ横顔。
意志の強さを感じさせる、首の筋。
「……イルカ先生」
声が震えた。みっともない、とカカシは自分を叱咤した。
「私、昔、敗走中に、助けにきてくれた暗部に、一目惚れしちまいましてね。顔もわからないのに、このひとだ、と思っちまって。馬鹿みたいですよね。で、親、亡くして、何もかもひとりでやってきたからって、そんな想いまで、ひとりで抱えてこなくても、と我が身を笑うんですが。つくづく、身体の痛みより、心の痛みってのは、厄介です」
カカシの顔を見ないまま、イルカは早口で言い募る。
何年も熟成させてきたのであろう、想い。
カカシは、自分の想いを、どんな言葉で告げたらいいのか、必死で頭のなかで辞書をめくった。
とりあえず、ふたりの初めてのキスは、強い酒の匂いと味がした。
一目惚れをした。
美しいひとに。
一目で恋におちた。