キラキラ星
 
 地下鉄の駅から二十分ほど行く。
 古びた建物がひしめきあっている一角のなかでも年代物だった。
 この、洋館の造りをしたアパートが、これから彼らの新しい住まいになるのだった。
 出来た当初こそ、モダンで、ハイカラだと評判になったのかもしれないが、現在では、ほとんどお化け屋敷である。
「何が出ても、不思議じゃねえ感じだよなあ」
 ボストンバッグ一個を抱え、ぎしぎし鳴る階段をこわごわ登り、哲郎は言う。
「何も出ないよ」
 素っ気無く、加絵が返す。
「えー、なんとなく黒ミサとか悪魔召喚とか、やってそうな雰囲気じゃん?」
「悪魔なんていないよ」
 楽しそうな哲郎に、加絵はにべもなく答える。
 哲郎は嘆息し、黙って歩を進めた。
 階段を登りきった、薄暗く埃っぽい屋根裏部屋が、哲郎と加絵の住居だった。
「気分出すぎ。外国映画みてえ」
「掃除に手間、かかりそう」
 哲郎と加絵は、それぞれに思いついたことを呟く。
 加絵は、スポーツバッグを錆びかけたパイプベッドの上に放りだすと、部屋を点検しはじめた。
 二人が住むにしても広さは充分だった。
 水回りも不備はない。
 前の住人が残していったという、小さな冷蔵庫とエアコンも、がたぴし言いはするが、ちゃんと動く。
 風呂と洗濯する場所がないが、銭湯とコインランドリーが、すぐ近くにある。
 加絵は頷いた。
 悪かない。
「掃除して清潔にすりゃ、もっと悪かない」
「上等だよ。俺ら二人の城だもんな」
 そっと寄り添って、哲郎は、加絵の指に指を絡ませた。
 
 哲郎と加絵は、高校の同級生だった。  公立の普通高校だった。
 何がきっかけだったということもない。  気がついたら、互いにかけがえのない存在になっていた。
 卒業したら、首都で演劇の勉強をしたい、という加絵の希望は、親にも教員にも猛反対され、理解者は哲郎だけだった。
 だから、アルバイトで金を貯め、二人は勝手に首都に出てきた。
 そして、彼らの手持ち金と、形式的に保証人の名前を書くだけの書類で、入居が許されたのは、この屋根裏部屋だけだった。
 
 必要最小限の買い物をし、掃除をし、食事をして、風呂に行って戻ってくると、すっかり夜も更けていた。
「へえ。星が見えるわ」
 ベッドに倒れ伏すように転がって天窓を見上げ、加絵は感心したように言う。
 哲郎も、同じように天窓を見上げる。
「ほんとだ。俺、都会って、星も月も見えねえもんだと思ってた」
「私も」
 隣に寝転んで、哲郎は加絵の手を握る。
  「後悔してない?」
 ぽつん、と加絵は哲郎に問う。
「するわけねえじゃん」
 哲郎が笑う。
「……早く、メジャーになりたいな」
 加絵は呟く。
「なろうな」
 握る手に、哲郎は力をこめる。
 天窓の向こうで、星がぽつねんと光っている。
 対抗するように、哲郎は星にウインクをしてみせた。
「あのキラキラ星に誓ってさ、メジャーになろう」
「……キラキラ星。ま、いいけどね」
 くすっと加絵が笑う。
  「ほら、おまえも誓えよ」
「……キラキラ星に?」
 苦笑しながらも、加絵は言う。
「そうだね。あのキラキラ星が、きっと私たちを守ってくれる。あの星に誓って、私たちは夢に進む。……これでいい?」
 哲郎は、空いている手の親指と人差し指で丸を作り、にっこり笑った。
 
 あのキラキラ星が、きっと私たちを守ってくれる。
 あの星に誓って、私たちは夢に進む。
 
 
 
 哲郎は、もう何日もまともなものを口にしていなかった。
 熱が、ぜんぜん下がらず、買い物も料理もできないし、なによりも、胃がものを受け付けなかった。
ー死ぬのかな、俺ー
 ぼんやりと、哲郎は思う。
ー別に、このまま死んでもいいやー
 身体ばかりではなく、心も力を失っている。
 
 加絵は、脇役で出たドラマが爆発的な人気を呼んで、一気に、スターダムにのしあがった。
 仕事が変わるにつれて生活も変わり、この屋根裏部屋で暮らしているわけにはいかなかった。
 マンションに移るとき、哲郎も一緒に、と強く勧められたが、哲郎は独りで屋根裏部屋に残った。
 加絵の負担にはなりたくなかったし、自分だけのものではなくなっていく加絵を見ているのも辛かった。
 いつしか連絡も途絶えがちになり、もうテレビ画面でしか加絵を確認する術はなくなって久しい。
 ワイドショーは、熱愛発覚というありがちなあおりで、加絵と人気俳優との交際を伝えていた。
ー加絵が幸せなら、それでいい。
 俺なんか、いないほうがいいー
 哲郎は、重い瞼をあげて、天窓の向こうを見た。
 空には、キラキラ星が、あのときと変わらず瞬いている。
 星の輝きは変わらないのに、星よりも遠くなってしまったもの。
 哲郎は、力をふりしぼるようにして、星にウインクをした。
「さよなら、キラキラ星。
 あいつは、もういないけど、おまえだけは、ずっと俺を見ててくれたんだよな。
 ありがとな」
 腕を胸に落とし、哲郎は目を閉じた。
 
 
 哲郎が意識を取り戻したのは、病院のベッドの上だった。
「こんっバカ。なんで私に連絡しないのよ! 
 なんで、ひとりっきりで我慢してんのよっ」
 目をさますなり、浴びせられた罵声は、もう夢でしか会えないと思っていた人のもので、その眼には涙がにじんでいた。
「肺炎を起こしてて、もうちょっとで手遅れになるとこだったんだって。
 そんなことになったら、どうしたらよかったのよ」
「かえ……。仕事は」
 哲郎は、掠れた声で問う。
「んっとに。私の心配してる場合じゃないでしょ」
 呆れたように言いながら、加絵は苦笑する。
「強制休暇ってのかしら。
 あのエロ俳優、思いっきし振ってやったら、あいつ、けっこう力があったらしくてね。
 しばらく干されちゃった」
「そんな……」
「ああ、そんな死にそうな顔をしなくても、大丈夫だって。
 事務所も、落ち着くまでだって言ってるし。
 こんなことで、つぶれたりしないわよ、私。
 でも、マンションも張られてて、帰れないから、あの屋根裏部屋に置いてね」
 熱のせいで、夢を見ているのだとしか思えなかった。
 夢でしか会えない人が、帰ってくる?
「まずは、あなたの身体を治さなくちゃ」
 加絵は、哲郎の額に口付けた。
 
 
 後になって、哲郎は加絵に尋ねた。
 どうして危機が、わかったのかを。
 加絵は、語ってくれた。
「妙な話なの。
 車を運転してたら、携帯がうるさく鳴って。
 自分でそんな着メロ、入れた覚えないのに、キラキラ星のメロディで。
 出たら、切れたのね。
 ああ、キラキラ星って、名前を付けたなあって、思い出して。
 そうしたら、もう、たまんなくなって、あの部屋に行かずにいられなくて。
 幸か不幸か、仕事が切れて時間があったしね。
 そうしたら、てっちゃん、意識不明で倒れてるじゃない。
 驚いたの、なんのって」
 そうして、慌てて病院にかつぎこんだ、ということだった。
 
 不思議なのは、キラキラ星の着メロが鳴ったことである。
 誰かが悪戯したのかもしれないが、それきりあのメロディが鳴りだすことはなかった。
 哲郎は微笑み、天窓の向うのキラキラ星にウインクをした。
 
 あのキラキラ星が、きっと私たちを守ってくれる。
 あの星に誓って、私たちは夢に進む。
 
 
 
戻る