KO-YA! KO-YA!
 
電車の中は揃いの制服を着た少年たちで埋められ、ほとんど通学専用車と化していた。
右襟に成育学園の校章、左襟にはTの学年バッジ、そして、薄緑のネクタイは高校の印。
ちなみに、中学のネクタイの色は青だ。
今日から高校一年生なのは、天津映理(あまつえいり)と同じらしいが、学校事情に詳しく、慣れている様子なのは内部進学生だからだろう。
成育学園は、中高一貫教育の私立男子校である。
高校から入る者は、あまり数が多くない。
成績がいいので合格してしまい、映理はここに通うことになったわけだが、少し、いや実は、かなり不安である。
友達、できるかなあ。
情けない思いで、真新しい鞄を抱えなおす。
と、急に呼吸が苦しくなった。
え? おれってば、心細さのあまり息が出来なくなったの?
一瞬、危ぶんだが、そうではなかった。
誰かが映理のネクタイを、ぎゅっと掴んでいたのだ。
「おい、こーや。俺あ、まっさか、おまえが緑のネクタイを結べると思わなかったぜ」
恐怖の面持ちで見上げると、背の高い男が、唇の両端を釣りあげて、映理のネクタイを引っ張っている。
映理は引きつった。
「あ、あ、あ、あの」
男は、不審な顔で映理の顔を見、次に驚愕の表情を浮かべて、手を離した。
「ごめん! 悪い! てっきり、こーやだと思って! すまん、人違いだ!」
矢継ぎ早に謝罪の言葉を繰りだし、男は両手を合わせる。
「阿木せんせー。こーや、もう何かやったんすかー」
のんびりした声を出し、何人かの生徒が寄ってくる。
「こーや、朝からオイシイじゃ……、あっれー? こーやじゃねえの!?」
生徒たちは、まじまじと映理を見つめる。
「こーや、そっくり! 誰? こいつ」
一人が、ひどく大声で言った。
誰って、そっちこそ、誰だよ?
とは、咄嗟に返せない性格の映理だった。
 
教室に着くまでに、着いてからも、映理は、「こーや」と呼びかけられ、瞬時の間のあと、「こーやじゃねえの?!」という絶叫を浴びつづけた。
どうやら「こーや」というのは、中学まで、生徒からは人気者、先生からは目を付けられている名物生徒だったようである。
その「こーや」に、映理はそっくりらしい。
「なあなあ。おまえ、腹違いの双子とか、いねえ?」
「ばっか、腹違いの双子なんか、あるかよ。生き別れの双子だろ!」
「ありますー。人工授精させた一卵性の受精卵を、それぞれ別の子宮に宿すことは可能ですう」
「んな技術、俺らが生まれた頃に、あるのかよ!」
「確か、最初の成功例は……」
映理をおいてきぼりにして不毛な会話が続いているところで、教室のドアがひときわ大きな音を立てて、つまりは乱暴に開いた。
「やっほー。1−Eの諸君! 春休みは有意義だったかあ?」
皆は一斉に振り向いたが、入ってきた生徒の名を呼ぶ者はない。
「誰? 外進?」
一人が、不審げに呟く。
「あー、春木い。三年間も共に学んだ級友を忘れるとは、冷たい奴だなあ。幸谷荒野、ただいま参上!」
「えー!! こーや?!」
大合唱が起こった。
また一斉に、皆が映理を振り返る。
「うそつけ! 本物のこーやはこっちだろ!」
思春期まっさかりの少年たちの声、ごく一部にまだ声変わりしていない声も含む、が見事にハモった。

映理は、荒野と呼ばれる男の顔を、まじまじと見つめた。
まったく、自分に似ていなかった。
 
HRが始まろうとするのもかまわず、誰かが図書館まで走っていって、中学の卒業アルバムを持ってきた。
映理自身は、あまり似ているとは思えなかったのだが、皆が、そっくり、とか、そのもの、とかうめいている。
「だからあ、春休み中、アメリカに行ってて、食ってばっかりいたら、なんか急に背が伸びたんだって。声変わりも完璧、しちったし」
荒野は、どことなく得意そうである。
「マジかよ? マジだったら、俺、夏休みにずっとアメリカに行くぞ」
けっこう本気の声で言う者もある。
「アメリカに行ってて、おまえ、アメリカ人になったのか?」
低音が、荒野の背後からした。
「この髪! 染めただろ!」
「いてっ。せんせー、髪、ひっぱんないでよー」
「明日までに直してこい!」
「無理ですう。先生が言ったとおり、俺、アメリカナイズされちゃったんですう」
「ふざけんな。ここは日本だ!」
荒野の頭に拳固が落ちた。
「阿木セン、初日から飛ばしてるよなあ」
誰かが、小声で呟いた。
「おらおら、おまえら席につけ! HRを始めるぞ」
阿木センと呼ばれているのは、今朝、いきなり映理の首を締めた(正確にはネクタイを引っ張った)男であって。
それが担任であるらしい。
映理は、友達ができるかなどと不安に思っていた自分を、懐かしく思いかえした。
 
 
桜が散って、葉桜の季節も終わり。
新緑が目にまぶしい頃となった。
「えーり!」
校門を出ようとしている映理を呼ぶ声がした。
確かめるまでもなく、それは荒野だとわかっていた。
なぜなら、クラス中どころか学校中、映理と言うのは荒野だけだったから。 他の者は、「むーやん」だ。
「昔の荒野」→「むかこーや」→「むかや」→「むーやん」
と、進化したのであった。
教員まで、それを使用する。
担任の阿木に至っては、「むー」だ。
「もう、帰んの?」
ランニング姿の荒野は、映理のところまで息を弾ませて駆けてくる。
「見りゃわかんだろ」
映理は、ぶっきらぼうに言う。
「じゃ、ちょっとだけ待ってて。着替えてくるから」
「やだよ、なんで待たなきゃいけないんだよ」
「いいじゃん。ちょっとだから。一緒に帰ろ」
「おれ、別におまえと帰りたくないし」
「でも、帰るのが嫌ってわけじゃないだろ。待ってて」
荒野は、先刻より速足で校内に戻っていく。
仏頂面で、映理は塀に凭れかかった。
荒野とはあまり関わりたくないのに、律儀に言に従う自分が憎い。
制服に着替えた荒野が走ってきた。
「待たせたなっ。えーり」
「おお、待ったよ」
低く呟き、映理は歩きだす。
それを追いながら、荒野は声を大きくする。
「もお。えーりってさ、なんで俺には冷たいわけ?」
「ナルシストじゃねえもん、おれ。同じ顔した男に、優しくできるかよ」
「違うじゃん。ぜんっぜん」
それも、映理には腹が立つところなのだ。
少し背は伸びたようだが、どうやら自分はこのまま童顔で、とっちゃん坊や系に成長しそうな悪い予感がある。
対して隣の男は、出発点は一緒らしいのに、立派に女タラシ顔になりなんとしている。
意味もなく、不公平感にさいなまれる。
「ナルって言えばさー、俺もナルシストじゃないなー」
荒野は、呑気に言う。
「俺、えーりのこと、愛しちゃってるもん」
「それを、ナルシストってんだろ!」
「だから、顔とか姿じゃなくてさ、えーりの内面が好きなの」
足を止め、映理の前にまわりこんで軽く屈み、その顔を荒野は真正面から見つめる。
「俺くらいさ、映理自身を好きな奴って、いないよ? 今後も現れないね、きっと。
だからさ、俺にしない? 俺を、好きにならない?」
荒野の瞳は本気だった。
本気と書いて、マジと読む。
それが伝わったから、映理の思考は停止した。
ついでに、身体の動きも停止した。
「えーり? えーり! えーりってば!」
荒野の声が、どこか遠くから聞こえた。
 
 
「なー、むーやん。こーやと喧嘩したの?」
と同級生が尋ねてくるくらい、映理は荒野を避けていた。
とりあえず、何の返事もせずに避けていた。
答えられるわけがない。同性の同級生からの告白になど。
悲しそうな苦しそうな、そんななんともいえないような視線を、荒野が時々、送ってくるけど、ひたすら無視していた。
映理は、そうしか出来なかった。
 
 
「んー、いい感じだな。数学はAグレードに上がるか? むー」
成績表をめくりながら、担任の阿木が言う。
「あ、は、はい」
心ここにあらず、という返事を映理はする。
「おい。おーい、むー。目を開けたまま、寝るな!」
阿木は言うなり、映理の頭を成績表で、はたいた。
「ってえ。ってえすよ。先生」
映理は、恨みがましく阿木を見ながら、頭をさする。
「俺様が、おまえの話をしてやってんのに、当の本人が寝るなっての。悩みでも、あんのか?」
「……。いえ、別に」
映理は、また俯く。
「こーやはさ、一見、何も考えてない、どうしょうもねえ奴に見えるが、実際、そういう奴だが、信頼はできるぞ」
いきなり出てきた荒野の名に、映理は、はじかれたように顔をあげる。
阿木は、にやり、と笑った。
「あいつ、冗談ばっかし言ってるように見えるが、実は全部、本音だから」
いったい、どこからどこまで、この担任は知っているのだろう。
映理は恐ろしくなって、まじまじと阿木の顔を見る。
「荒野には裏も表もねえ。真正面から相手してやれや」
それで言葉を切ると、もう一度、成績の確認をして、映理の個人面談は終わった。
何もかも承知していそうな阿木は、そういえば成育学園の卒業生であった。
「真正面って、言ったって、なあ」
映理は嘆息する。
それなら、YESかNOしかない。
というか、NOしかないじゃないか。
人として荒野のことは嫌いではない。が、恋愛感情など、いだけるはずがない。
よし。
映理は、拳を握りしめた。
避けてないで。
黙ってないで。
言おう。
ちゃんと真面目に。
真面目に言ってくれたのだったら、真面目に返すのだ。
応えられない、と。
 
決意はしたが。
駅に着くなり、会うってのは無しだろう。
映理は、緊張に身体を強張らせた。
荒野は、映理が避けだして以来の、悲しいような切ないような笑顔を見せた。
「ごめんな」
唐突に、荒野は言った。
え、それは俺が言うこと、と混乱している映理をよそに、荒野は語を続ける。
「困らせて、ごめんな。でも、もう、終わりだから」
学校に向かう道を行きながら、なんでもないことのように、荒野は言う。
「おれ、学校をやめて、アメリカに行くから」
「やめる? アメリカ?! なんで、急に!」
思わず、映理は叫んだ。
「んー、春休みに、あっちにいたって言ったろ。あれな、母親んとこに行ってたの。離婚してさー、親権うんにゃらで、もめてたけど、おれ、本格的に母親んとこ、行くことになって」
「な、なんで」
遠回りになるので誰も使わない、人気のない道を、二人で歩きながら、映理は絶句した。
「どっちでも、良かったんだけど。辛いじゃん。好きな奴が、自分のために困ってるのって」
「それって、おれのせいかよ」
思わず声を荒げ、映理は荒野をまじまじと見つめる。
荒野は、困ったような顔をして、俯いた。
「映理が悪いんじゃない。全部、俺が決めたことだから」
「だから、って、成育をやめるの、いいのかよ?!」
映理は、荒野のネクタイを引っ張る。
 
授業中。
少しダレてくると、「こ―や!」の大合唱が起こる。
期待に違わず、荒野は何かしら、ぎょっとするようなことを言ったり、したりする。
教員は荒野を叱りつけ、生徒は大喜び。
だが、その後の時間は、それなりに締まる。不思議なくらいに。
 
他校生に、同級生や下級生が絡まれたと知れば、駆けつけるのは荒野だ。
殴りあいまで行かず、きっちり話をつける。
 
駅で女子校の女の子をナンパした、ということで、その学校から厳重注意を受けた。
それは武勇伝にも、呆れた話にもなっているが、実は、痴漢にあっていたその子を助けたのだ、ということを、仲間たちは知っている。
 
決して、荒野は、自分から何も言いはしないけど。
学校一の道化者をやっているけど。
 
幸谷荒野は。
 
「ばかやろお! おまえなんか、大っ嫌いだよ!!」
結果的に映理は叫び、走っていた。
 
 
それまで以上に、映理と荒野は気まずくなった。
もう映理は、荒野の困ったような切ないような、笑顔さえ見ない。
「なあ、何があったか知んねえけどさ、荒野と仲直りしろよ」
かなり、真剣な声音で、クラスメートが映理に言ってくる。
「あいつさ、いなくなんだぜ」
声を潜めて、彼は言う。
映理は、口の中で、もごもごと呟く。
「え? 何、言ってんだか、わかんね―よ。荒野、アメリカに行くんだってよ!」
周知の事実となっていることに、映理は少し驚く。
しばしの沈黙に、教室と、校庭のざわめきが響く。
成育は都市の中心地にあるため、校庭はコンクリートでひどく狭いのだが、そこで、十分の休みも、ボールを追って駆けまわる。
雨の日でも雪の日でも。
教員は、
「あいつらは、ボ―ル遊びしないと、死ぬのか?」
と呆れるが。
「ああっ!」
普段とは違う、危機迫った声がした。
ボールが、硝子に当たる。
硝子が砕けて、教室に散らばる。
その欠片たちが、自分に降りかかってくる。
映理は、映画でも見ているように、スローモーションがかかっているように、他人事のように、それらを追っていた。
「むーやん! 危ない!」
誰かの声がした。
映理は、目を閉じた。
だが、いつまで経っても、硝子は、自分を襲ってこない。
「こーや!」
口々に、その名が叫ぶように発せられる。
映理は無傷だった。
荒野が、全身で庇ったせいで。
担任の阿木が、駆けつけてくるのが、映理の目の端にうつった。
「……こーや……」
低く、呟く。
荒野は、にやりと笑って、言った。
「こーやこーや参上」
ふわっと、映理の視界が滲んだ。
自分の涙のせいだとは、気付かなかった。
ただ、溜めに溜めていた感情が、ふつふつと湧きあがってくる。
そして、爆発した。
「ばかやろお! こーや!! アメリカなんか、行くんじゃねえよ!!」
離すもんか、というように、その背を抱きしめる。
「行ったら、寂しい?」
「に、決まってんだろ! おれだって、おまえのこと、好きだよ!」
「あ…、嬉しすぎて、イタイ」
荒野の身体が、崩れ落ちる。
「こうや!」
阿木の声が轟く。
「こーや、こーや!」
級友たちの声が響く。
そのなかで、映理はうずくまる荒野の身を抱きつづけた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「映画のワンシーンみたいだったよな」
「命がけで、割れた硝子から庇ったんだもんなあ。荒野の野郎」
「男子校で、愛のクライマックス、見せられても、なんだけど」
「そうそ。人に語れねえもん」
杯を傾けながら、立派に成人した男たちが、思い出話に花を咲かす。
「で、来んの? 奴ら」
「遅れるけど、来るって。こーやも、むーやんも、帰国してるって」
「卒業以来じゃん。すげえ楽しみ」
「で、さ。おれ、卒業アルバム、持ってきたんだ」
「おお。ネタを仕込むには手間を惜しまねえな。高校の?」
「中学の。むーやんさ、昔のこーやに似てるから、むーやんって呼んでたわけじゃん?」
「何を、今更」
「でもさ、今、見ると、似てねえんだわ、ぜんぜん」
「え?!」
男たちは、アルバムに見入る。
確かに、その写真の顔は、記憶にある少年の映理と、まったく似ていない。
「だって、あんなに大騒ぎしたじゃん。似てるって」
「妙だよなあ」
「変なの」
ひとしきり騒ぎながら、男たちは、思いを馳せる。
こーやこーやは、幸谷荒野という一人の少年を離れて、少年のイメージ、そのものになっていたのかもしれない。
青臭い、青春という時代、そのもののイメージに。
そして、外からやってきた映理に、それをまた、見出したのだ。
解釈すると、そんなことでしか、ないけれど。
 
幸谷荒野。
 
こ―やこ―や。
 
それは、少年時代と同じ意味。
 
扉が開いた。
歓声があがる。
「変わってねえなあ」
「早く座れ!」
「今な、アルバム、見てたんだわ」
 
 
こーやこーやの時は終わっても。
彼ら二人の時間は、続いていく。
 
 
 
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