歌う
ピアノを弾くことが好きだと思ったことは、一度もない。
弾くのをやめようと思ったことも、一度もない。
ぼくにとって、ピアノを弾くことは、呼吸をすることと同じだった。
呼吸の好き嫌いや、やめようか続けようかを考える者は、たぶん、いない。

有名なピアニストだよ。世界的に。
父が、そう言った。
父さんの友達?
僕は訊ねた。
いや。昔の同級生だ。
間を置かず、父が答えた。
同級生だけど、友達ではない。
ぼくは、口をきいたことも、ほとんどないクラスメイトの顔を思いうかべた。
好きでも嫌いでもない。
昼食を一緒に摂ったりはしないけど、体育で組むようになったら、普通に協力しあう。
そんな奴。
大人になってからもそんな関係であったのか、その人は、父に頼まれて、ぼくを生徒にした。
いやがりも喜びもせず、淡々と。

その家のピアノが、ぼくは好きだった。
ピアノの中に何かが住んでいて、ぼくの弾く音に合わせて、歌いだす。
そのピアノは、すぐに歌ってくれた。
自分の喉を使って歌うことはなかった。
ぼくは、それを知らなかった。
先生が歌うまで。
ある時、父さんの昔の同級生だったぼくのピアノの先生は、ピアノを弾きながら歌った。
これは、歌つきの曲ですか?
ぼくは訊ねた。
いや。
先生は答えた。
何故だろうね。歌いたくなったから、歌ったんだ。
先生は、ぼくを見て言った。
そのとき、ぼくは、変なの、としか思わなかった。
ぼくは、ピアノを弾くことしか知らなかったのだ。

ずっとずっと後になって、想いが溢れでて、歌わずにいられなくなることを、ぼくも知る。
先生が、決してぼくの前では歌ってくれなくなってから。
気付いてしまうと、もう、ピアノも歌ってくれなくなった。
先生も、ピアノも歌わないから、ぼくが歌った。

その家のピアノが好きだった。
すぐに歌ってくれたのはピアノではなくて、自分の心だったと気付いたのは、ずっとずっと後、その家のピアノを弾かなくなってからのことだ。
ぼくは、先生の指が触れた鍵盤を押すことが、ほんとうに、ほんとうに好きだったのだ、ということに気付いたのも。

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