ハニーガイド

「先輩って甘いもの苦手ですよね。昔からでしたか?」
とダークチョコレート色をした瞳の後輩が聞いてきた。

後輩はなぜかこうしてよくオレの話を聞きたがる。
でもこの後輩の記憶は欠けていて、その理由も知っているオレは、安易に昔の話をするのもどうなのだろうと、ごまかしてしまう方が多い。

「昔って……そりゃジェリーサンドを一日三度食べてたこともあったけどね。中忍になってからはどうだろう? あんまり食べる機会もなかったかな? テンゾウは甘いの好きなの?」
「ボクですか? ボクはまあ食べます。糖分は脳にも心にも優しいんですよ。
朝食に精製されてないシロップやハチミツを摂取すると脳が活性化され目がよくさめるそうです。今度試されませんか?」

そんなのどこの健康雑誌の受け売りだよとあきれながら、久しぶりに聞いた『ハチミツ』という言葉を、ひどく懐かしく受けとめた。

あれは父さんとの最後の任務のときだ。

その任務は、カカシを伴ったツーマンセルでの、ある高官の素行調査であった。対象が政府要人だったのでかろうじてBランクがついたような、どう考えても「白い牙・はたけサクモ」が受けるような難易度の高いものではなかった。
当時、木の葉隠れの里は、外では忍界大戦が休戦をはさみながらも二次まですすみ、内では三代目と対立する武闘派の動きが目立ってきていた。三忍をも凌ぐと他国に知られ、里を代表するサクモに家に戻れる時間は少なかった。
波風ミナトは、サクモばかりに高ランクで面倒な仕事が偏っていると公然と不服を口にし、ここ半年以上にわたるサクモの過剰任務は誰の目にも明らかだったが、三代目はこのような形でしか応えることができなかった。

サクモ本人は、危険で手間のかかる任務ばかりを受け、休息が少ないという意識はなかったが、身体は休養を求めていたのだろう。短期間で完了した今回の仕事は、急げばその日のうちの帰還も可能ではあったが、野営で一晩過ごし予定通り翌日に帰ることを選んでいた。

誰も殺めずに任務は終了し、報告は伝鳥に持たせた。
すでに緩衝地帯の森に入り、抜ければ火の国領地となる。
そして何よりカカシがそばにいる。
 
どんな任務でもサクモは気を緩めることをしなかったが、常に張りつめていたものが少し和らいだ感じがして、それがカカシをいつになく安心させていた。

まだ明るい森を横に並んで歩く。
森は死の森のような巨木が行く手を阻み、日が差し込まない薄暗い形態ではなく、地面も空気を乾いていた。
突然、灰色の小さな鳥が一羽、けたたましい鳴き声を上げながら一直線に飛んできた。カカシは反射的にクナイを構えたが、サクモは手で制した。
「カカシ、あの鳥の後をつけよう」
鳥はついて来るのが当然のように先を飛んだり、梢で待ったりしながら森の奥に進んで行く。しばらくそれを繰り返し、やがてひとつの枝の上で留まり鋭く鳴いた。
サクモは鳥の言葉を理解したかのように、眼前の途中から折れた太い幹の周りを注意深く観察し、腐りかけていた側面をボロボロと崩していった。
カカシは初めてみる父の行動に息をつめて凝視していると、木洞の中で黒っぽい小さな固まりひしめきながらうごめいているのが見えた。
「寄懐虫!?」
カカシはまた身構えた。
「ミツバチだ、大丈夫。これは滅多に刺さない」
サクモはカカシを安心させるような声色で答えると、ミツバチに静かに息をふきかけたり、周りの幹を優しく叩いたりしてハチを端に移動させた。ハチが動いた下からは鍾乳洞の幕石のような薄い黄色の固まりが見えた。カカシが背をのばして木洞の中を覗くと、それは何枚も重なったハチの大きな巣だった。
ホルスターからクナイを取り出し外側の巣板を一枚、手奇麗に切り離したサクモが、北の国の言葉で短く感謝の祈りを捧げ目礼したのをカカシの優れた目と耳は拾った。

ハチと鳥をその場に残し二人はさらに森をすすむ。
あたりが黄昏るころ、まわりがややひらけた木の下でサクモは歩みを止めた。
「今日はここで休もう。明日は里に帰らないと」
それは自身に言い聞かせるような呟きだったので、カカシは返事をしなかった。
カカシが周囲を確認し背中の荷物をおろすと、サクモはすでに器に干飯を入れ食事の準備をしていた。水筒の水を干飯に注ぎ、すっかり水分を吸って柔らかくなったのを確かめ、先ほどの巣板の上部に注意深く切り込みを入れ、器に傾けるとミツがたれてきた。
「巣の下の方には幼虫の部屋がある。カカシはこれも」
巣の中の幼虫と蛹らしいものを見せるので、カカシは慌てて首を振る。
「慣れないといけない。大事な蛋白源だ。兵糧丸だけでは足りないこともあるから」
サクモは上官然として真剣な表情でカカシを見つめるので、ためらいながら頷くと
「でも今日は必要ない。私も好きじゃない」
上官然として真剣な表情のまま器を渡した。
 器の中の干飯はハチミツが混ざりとろりとして、甘い香りがする。カカシは両手を合わせ食前の言葉を早口で唱えると、幼虫が入ってないかこっそり確認してから口に入れた。いつも配給される干飯とは思えないほどおいしかった。カカシは干飯を口に含んだまま
「これすごくおいしいね、父さんが考えたの?」
「誰かに教えてもらった?」
「どうしてこんなにおいしいの?」
次々と疑問を口にした。
 サクモは指でカカシの頬を静かに撫で食事の無作法を諭し
「父さんの考えではない。ポリッジみたいなものだ。暖かいといいけれど、緩衝地帯でも煙は出さない方がいい」
「ポリッジ?」
今度は口の中のものをすべて飲み込んでからカカシは聞いた。
「父さんがいた所は寒くて麦かキビした採れない土地だった。たまに、ごくたまにハチミツをまぜてくれた」
サクモは会話を終了し、静かに干飯を食べ始めた。
サクモの話はわかりにくいと人からよく批判されていたが、カカシにとっては問題ではなかった。
カカシには父親の話がいつでもよくわかったし、このおいしいものを味わう方が先決だった。

器が空になるとカカシは別の疑問をたずねた。
「どうして父さんは木の中にハチの巣があるってわかったの? 鳥の言葉を知ってるの?」
「あの鳥は、インジケーターの一種だ。ハチの幼虫を好むが、鳥の力ではハチの巣を壊せない。ヒトやアナグマに巣の場所を教え、分け前をもらう。そういう行動をユーチュアリズムといって……」
 サクモには、子供に対して簡単な言葉で平易に話すという認識がなかった。カカシが生まれたときから難しい話を難しいまま伝え、カカシは難しい話を難しいままま聞いて覚えていった。
 父の話をいつも注意深く聞くカカシであったが、珍しく、今はもっと単純な話が聞きたいと話題をかえた。
「……このハチミツ、すごくおいしいね」
「カカシはハチミツが好き?」
「うん。アカデミーのヤウゼで食べたハチミツはベタベタして嫌いだったけど、このハチミツは好き」
「森のミツバチは、森の木の花からミツを集めるから、草花のミツとは違う。ハチミツが気に入ったなら、家に帰ってパンにのせてみよう」
「うん。それはどうすればいいの?」
「バターをパンのすみまできちんと塗って、その上にハチミツをかけるんだ。甘いポリッジと同じごちそうだったよ。父さんは好きだった。カカシも気に入るといいな」
「きっと大好きだよ。ご飯にバターのせて食べるとおいしいって先生も言ってたよ」
「ミナトが? そう……バターはゾンダーバタがあるといいね」
「ゾンダーバタ?」
「夏草を食べた牛のバターは冬場のものよりずっといい」
 
その後サクモは、森の中のどのキノコが食べられるとか、キノコを採る前に捧げる祈りの言葉とか、ベリーを保存するときの相性の良い組み合わせとか、カカシが初めて聞く話しばかりをしてくれた。
カカシはずっと聞いていたはずなのに、目を開けると朝になっていた。

里に戻ると、サクモは装備を交換しただけでそのまま任務に出かけた。
残ったカカシに「今度は部隊長としての極秘任務だよ」とミナトが教えてくれた。

----オレはそれからずっとバターとハチミツがのったパンのことを考えていた。次に父さんが帰って来たら必ず作ってもらおうと楽しみにしていた。自分で作るのは嫌だったし、誰かに話して作ってもらうのはもっと嫌だった。父さんに作ってもらって、父さんと一緒に食べると決めていた。
でも、帰って来た父さんには頼めなかった。
 
そして父さんはいってしまったので、オレはずっとそれを食べられないままだった----

「ねえ、テンゾウ。バターとハチミツのせたパンって知ってる?」
「ああ、ハニートーストのことですか?」
「トースト? 焼くの? それお前作れる?」
「作るも何も、パンをトースターで焼いて、バターとハチミツ塗るだけですよ」
「だけじゃないよ。バターはゾンダーバタで蜂蜜は森の木の花のミツじゃないとダメなんだよ」
「えー、何ですかゾンダーバタって? どこのグルメ雑誌の受け売りですか、そのこだわりは。そこまでしなくても充分うまいですよ。明日の朝一緒に食べましょう、用意しますよ」
「じゃあ、せめてバターはすみまできちんと塗ってよね」

テンゾウが作ってくれたものを、テンゾウと一緒に食べるなら、それはきっとおいしいだろうと、明日のテーブルを想像してオレは幸せな気分になった。

x-clubのvasilisa様から頂きました!
というか、いつものように強奪…(以下略)。
ありがとうございました!

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