この、世界

腕の中に、サクモはいた。
ミナトは大きく息を吐き、サクモの長い銀髪に口付ける。
ふいに、サクモが目を開けた。
白い指をのばし、ミナトの頬をこする。
「また、いやな夢を見たの?」
「はい。とても、とても、いやな夢を」
低い声で言い、ミナトはサクモを抱きしめる。
年を重ねた、その年月、ミナトの愛情だけを受けてきたからだ。
これ以外に、何も要らない。
サクモだけが、欲しい。
「こわいもの無しのミナトが、夢で泣いてしまうなんて、ね」
からかうように、サクモが言う。
「だって、いやな夢だったんです」
ミナトは、甘えるように言う。

そう、夢。
夢に過ぎない。

サクモが自分を置いて、死んでしまう世界など、夢に過ぎない。

ミナトは、サクモにキスをする。
そのまま、蜜の時間に流される。

「父さんも、先生も、遅いよ!」
キッチンで卵を焼いているカカシが、唇を尖らせる。
「ごめん、ごめん」
サクモがふわりと笑い、椅子に座る。
「先生、シカクさんから電話、あったよ。いくら、携帯にメールしても電話しても応答がないって」
「ごめん、ごめん」
サクモと同じ語を真似、ミナトはにっこり笑ってテーブルに着く。
「今日は、絶対に会社に来てって」
「ん! 今日が終わる前には行くよ」
「もう。シカクさんたちに当たられるの、オレなんだから」
カカシは怒ってみせながら、朝食の準備を進めていく。
「父さん。残しちゃだめだからね。全部、たべてくれなきゃ、いけないからね」
「カカシが作ってくれたもの、残すわけがないだろう?」
サクモは微笑し、カカシの髪をさらりと撫でる。
「そう言って、残してばっかり」
責める言葉だが、口調は甘い。
まるで、恋人同士のように。
長い期間、サクモの恋人であるのは、ミナトのほうであるのに。

いつも、そう。

ミナトは、心のうちで呟く。
カカシに、まさったことが無い。
どの世界でも、どの世界でも。
サクモは必ずカカシの父で、カカシはサクモの子で、ミナトが、この二人の間に割り込めたことはない。

「はい、先生」
カカシが、ミナトの好みに調節した、コーヒーを渡してくる。
「ありがとう、カカシ」
礼を言って受け取り、そっと、嘆息と液体をのみこむ。
厄介なことに、自分もまた、カカシを愛している。
サクモに対する恋情と同じものを伴うことはないが、己の命よりも、カカシが大切だった。
どこの世界でも、どこの世界でも。
それでいてサクモを、独占することを渇望している。

度し難い自分。
ろくでもない、だからこそ愛しい、この、世界。

ミナトは、コーヒーの、湯気の向こうで微笑むサクモに、笑いを返した。

戻る