その夏

なんだって、こんなに暑いんだ。
波風ミナトは人からよく「太陽の色をしている」と言われる己の髪色さえ疎ましくなる。
火の国は、その名に相応しい酷暑の夏を迎えていた。
山に囲まれた盆地である木の葉の里市街地は、とりわけて暑い。
ミナト自身は、暑かろうが寒かろうがさして不便も不満も感じない。
若くて、細身の外見に似合わずとりわけて頑健な肉体は、氷付けの大地にも砂漠の真昼にも、あっさりと順応する。
不眠、食欲不振、など字面で想像することしか出来ない。
想像することしか出来ないから。
共有することも、代わってあげることも出来ないから。
太陽に八つ当たりする。
そんなに暴れないで。
サクモさんを苦しめないであげて。
太陽に、願う。

広い畳敷きの部屋に、いくぶんか縁側に寄って、はたけサクモの床が延べられていた。
障子を一枚だけ開け、庭を望めるようにしていた。
澄んだ池の水と、濃い緑が目に涼しい。
ミナトは、冷風扇の氷を新しいものに替え、団扇を持って、サクモの傍らに座す。
暑気は、サクモの身体を参らせる。
だが、人工的な冷房もサクモの身体には障る。
戸を開けて自然の風を入れれば、一緒に蝉の声が届いて、それがサクモの神経を参らせる。
調度や寝具を涼しげなものにして。
昔ながらに氷で空気を冷やして。
これも昔ながらの氷枕をこしらえて。
サクモの身に直接、触れないように風を起こして、せめてもの涼とする。
「サクモさん。汗を拭きましょうか」
静かに、驚かせないように声をかける。
視線を庭に向けていたサクモが、ゆっくりとミナトを見返った。
淡い色の瞳は、ミナトの像を結ばない。
ミナトは殊更にゆっくりと手を動かし、サクモの寝衣の胸元をあける。
ぼんやり、とサクモはミナトの顔を見ている。
いや、見えているのかどうか、わからない。
「ね? さっぱりしますからね」
そっと、ミナトは、サクモの胸に使い捨ての汗ふきを当てる。
不意に、サクモは身を固くして、寝返りを打った。
一つ、嘆息し、ミナトは諦めた。
黙って、風を送る作業に戻る。

サクモは、もともと丈夫なたちではなかったが、木の葉の白い牙とおそれられ、三忍さえも霞むと言われるほどに、最強の忍者であった。
だが、任務漬けの日々は、サクモの精神も肉体もじわじわと蝕んでいたのだろう。
仲間を助けるために任務を中断し、それを当の助けた仲間からも誹謗中傷されるにあたって、サクモは心神を喪失した。
直接の契機は、この事件だろう、とはミナトも思う。
だが、この事が無くても、サクモはどこかで折れていたのではないだろうか。
それを予感しつつ、危惧しつつ、何も出来なかった自分がミナトは悔しい。
無力が呪わしい。

「父さん! 先生!」
庭をつっきって、幼いカカシが駆けてくる。
ガラス戸の向こうで、声は聞こえないが、口の動きが確かに父と師を呼んでいる。
サクモの口許が、かすかに綻んだ。
ミナトはそれを確かめて、庭に通じる戸を開ける。
熱気と、蝉の合唱が飛び込んでくる。
サクモは、ゆるく首を振った。
夏の風物詩は、今のサクモの身にも心にも、刺激が強すぎるのだった。
だが、カカシが入ってくるのを認めたものか、サクモの口許の綻びは、はっきりした微笑になる。
カカシは「ただいま」を言うより先に、小さな背中にしょっていたこれも小さな背嚢をおろし、中味を誇らしげに取りだす。
「父さん、先生、あのね。うみの先生がくれたの。井戸で冷やしていた瓜だって。冷蔵庫で冷やすより、冷たくて美味しくて、ビタミンたっぷりで、栄養があるんだって。父さんの病気にもきくよ!」
どんな困難な任務を達成したときよりも、誇らしそうに。
「ん! いい瓜だね。今度、おれも御礼を言っておくね」
ミナトは、カカシの銀色の頭を撫でる。
「よし。切ってこようね」
ミナトは瓜をかかえて、立ちあがる。
サクモが腕をのばし、カカシの頬を、愛しくてたまらない、というように擦るのを後ろに見ながら、ミナトは厨(くりや)に立った。
完全に孤立しているはたけ親子を。
密かに気にしてくれているらしい、うみのの好意が嬉しい。
手の中の瓜は、よく実が入って重く、冷たく、柔らかい緑色に輝いている。
ただサクモを苦しめるばかりの熱射が、暫時、薄らいだような気がして、ミナトは清涼な瓜の香りを胸いっぱいに吸った。

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