長い夜

「サクモのことなど、何も知らないくせに」
うみのは、いっそ優しいほどの憐れむような顔で、波風ミナトを見た。
「おれが、おれが、あのひとより遅く生まれて、その間のことを知らないのは、おれのせいじゃない!」
拳を握りしめて、ミナトは激した。
「そうだな。俺が、サクモが生まれたときからあいつを知っていて、何もかもを知っているのも、俺の功績じゃない」
うみのの声には、絶対的な余裕があった。
ミナトは碧眼に強い光を宿して、うみのを射抜いた。
「知っているとかいないかとか、知り合った時間じゃないでしょう? 愛の深さは」
「愛の深さ、ね」
うみのは、唇の片端だけをあげた。
「考えたこともない言葉だな」
「愛していないのですか? サクモさんを」
「だから、考えたこともない。ただ、俺の全てがあいつのもので、サクモが俺のものだというだけだ」
自分が起こした炎に焼かれてしまわないのが不思議だ、とミナトは思った。
殺してやりたい。
こどものときから人を殺す忍者の仕事をやってきて、初めて、殺意というものを知った。
この男を殺して、サクモを独占する。
それは、なんと甘美な誘惑だろう。
うみのは、そっとミナトの金髪に触れる。
こうなる以前の、ミナトを慈しむような表情で。
「今のおまえにかなわないのは承知で、俺もおまえを殺してやりたいよ。けどな、サクモは、俺が死んでもおまえが死んでも、狂うくらいに悲しむだろうからな」
ミナトは、決してうみのが嫌いではない。
殺したいとまで願っても、うみの自身を嫌うことはできない。
なぜ、同じ人を愛してしまったのか。
愛するひとを、サクモを苦しませるだけの愛を、なぜ、うみのも自分も消せないのか。
求める心を、おさえることが出来ない。

ビンゴブックにこそ載っていない。
二つ名こそ付けられていない。
だが、木の葉の白い牙の傍らに控えて、彼を支えるうみのの存在は有名だった。
サクモが生まれたときから、サクモを守ることを使命としてきたうみの。
波風ミナトは、そのうみのに可愛がられてきた。
三代目や師の自来也をのぞいては、忍の才だの外見だのに頓着せず、ミナト自身を認めてくれた男だった。
ミナトもうみのを慕ってきた。
人として、男として、慕ってきた。
それなのに。
なぜ、うみのの、絶対無二のひとに恋などしてしまったのだろう。

「ねえ、うみのさんは、どんなふうに、するんです? もっとあなたを鳴かせる? 優しい? 乱暴?」
サクモの蒼い瞳がおののいている。
もう随分、ミナトはサクモの笑顔を見ていない。
大好きな、あの柔らかい笑み。
あの笑顔を守るために、自分は生まれてきたのだと信じたのに。
「全部、全部、忘れさせてみせますよ。おれだけのサクモさんにしてみせる」
ミナトは、サクモの肌に刻印を残していく。

「父ちゃん!」
呼ばれて、ひどく驚いてうみのは振り返った。
黒髪を高い位置で一つに束ね、顔の真ん中を横切る傷があることが、かえって愛らしい小さな男の子が、うみのの服の裾を引いていた。
「も、申し訳ありません! この子、どうしても父親が殉職したのが理解できなくて」
母であるらしい女性が、ひどく恐縮して、頭を下げる。
「そうですか。ご主人は殉職された?」
当たり前のように、うみのは子を抱きあげた。
「はい。先の任務で」
「それは申し訳なかった。私たちはご主人を帰還させられなかった」
「いえ! そんな!」
詫びるうみのに、女は慌てた。
うみのは微笑み、腕に抱いた子を揺らす。
こどもは、きゃっきゃっと声をあげて喜んだ。
女は眩しそうに目を細める。
折からの、落ちていく夕陽のせいばかりではないだろう。
「私は、ご主人に似ていますか?」
うみのは女に問う。
「あ、背格好とか、黒髪とか、お顔の感じも」
俯いた女の頬が赤らむ。これも残光のせいばかりではあるまい。
「そうですか。うん、きみの名前は、なんていうんだ?」
うみのは、今度は男の子に問いかける。
「イルカ! さんさいです」
「イルカ、か。奇遇だな。俺も、イルカっていうんだ。うみのイルカが、家に二人も居るというのは、どうしましょうか?」
うみのは、真顔で女に尋ねる。
その問い掛けの意を正しく理解した女は、今度こそ夕焼けのせいには出来ない、赤面になった。

「まさか、あなたがご結婚なさるとはね」
どこか責めているような、波風ミナトの声音だった。
うみのは、凪いだ笑みを見せた。
「あの親子は絆創膏なんだ。傷を治すことはできないが、傷を庇って痛まないようにしてくれる」
うみのは、そっとミナトの金髪に触れる。
こうなる以前の、ミナトを慈しむような表情で。
「きみには、カカシがいる。サクモはきみに、カカシを遺した。そして、俺はきみの部下だ」
うみのイルカは、波風ミナトの前に右膝を折って叩頭し、ミナトの手を取り、その甲に恭しく接吻した。
「うみのイルカ、四代目火影波風ミナト様に永遠の忠誠を誓います」
ミナトは一度、目をつぶり、そして開いた。
青い瞳に、黒髪の男を映し、「許す」と一言、言った。

確かに、うみのイルカは笑った。
四代目火影波風ミナトを庇い、魔物の尾に叩きつけられながら、確かに、彼に向かって笑ってみせた。
ミナトも、小さく笑む。
うみの同様、ミナトも実感した。
自分たちの、長い長い夜が終わることを。

サクモを喪ってからの、いや、サクモをめぐっての、長い長い、波風ミナトとうみのイルカの夜が終わる。

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