シスター アフェア

先生の妹だという女の人に、一度だけ会ったことがある。

梅雨どきとあってずっと降りつづいていた雨が不意にやんで、晴れ間を覗かせた夕方だった。
雨上がりの澄んだ空気と鮮やかな夕焼けと、その二つがオレは大好きだったので、機嫌よく歩いていた。
三代目から四代目への、嬉しくない書状を運ぶお使いの途中でなければ、口笛を吹きたいような気持ちだった。
カカシくん、と女の人に呼ばれた。
金髪に青い瞳の女の人で、てっきり四代目が変化の術で悪ふざけをしているのだと思った。
そんな悪ふざけをしている余裕があるなら、自分で三代目のところにちゃんと行けばいいのに、と怒りだそうとして、その人が生まれつきの女の人、チャクラも気配も四代目のものとは全然、違うことに気づいた。
忍者ですらない。一般人だろう。
「ねえ、私、誰かに似てる?」
その女の人は、笑って言った。
「四代目に」
小さく呟くと、その人は四代目そっくりの笑顔をした。
「妹なの。私は忍者じゃないけど」
「そうなんですか」
オレは口の中で、いもうと、と発音してみた。
オレの人生には、色鉛筆の芯を切る機械と同じくらい縁のない言葉だった。
「ずっとね、外国にいたの。夫が貿易をしている人だから。里は久し振り」
「そうなんですか」
他の言葉を知らないみたいに、オレは同じ返事ばかりをした。
だけど、他のどんな言葉が言える?
「カカシくんは、私が兄に似てるってすぐに思ったのね。あなたのお父さまは、似てるとは思わなかったみたいだけど」
「父に会ったことがあるんですか?」
やれやれ。やっと違う言葉が言えた。
「一度だけ、あるの。兄と全く連絡が取れなくなって、うちは忍者の家じゃないから、お兄ちゃんは任務のどこかで死んでしまったんじゃないかって大騒ぎになった」
「殉職なら、一般家庭にでも連絡はいきますよ。遺骨や遺品は帰りませんけど」
おれが言うと、先生の妹だという人は先生とそっくりな笑顔になった。
「そうよね。でも、くどいけど、うちは忍者の家じゃないの。忍者になったのはお兄ちゃんだけなのよ。だから、誰もそういうことがわからなくて。ずっと里に住んでたけど、そうなの」
そうかもしれない。
オレだって、同じ里のなかでも、店を出してる人なんかがどういう暮らしをして、何を思っているかなんてさっぱりわからない。オレもオレのまわりも忍者でない人などいないのだから。
「それでね、アカデミーに私が行って、兄の行方を聞いたのよ。受付の人はとても困っていた。そりゃそうよね。一般人に教えるわけにはいかないわ。一目見て、私が兄の妹だということを確信したとしても」
「その頃も似てたんですか?」
オレは間抜けなアナグマみたいな質問をしてしまった。
その人は、大真面目に答えてくれた。
「今より、もっと似ていたわ。こどもの頃の写真なんかね、どっちがどっちかわからないくらい。大きくなるにつれて、違いが広がっていったんだけど」
オレと逆のようだ。オレは年ごとに父に似てくると、うんざりするくらい言われている。
「そこにね、あなたのお父さまがいらしたの。あなた、ほんとうに似ているわ。大人になったら、もっと似てくるのでしょうね」
ほら。記録にもう一回が加わった。
「あなたのお父さま、あっさりと、お兄ちゃんが自分の家にいるって教えてくださったわ。受付の人がますます困ってしまっていたわ。でも、お父さまは、私が兄の妹だとは思わなかったんですって。今よりもっと似ていたのにね。私が妹だと名乗ると、なんだかひどく恐縮なさった。そういうことに気が付かないたちで、申し訳ありませんって」
そう、父はそういう人だった。
木の葉の白い牙などと通り名を持つ最強の忍であったことは嘘じゃないのだけれど、人としては、他とは違った世界を見ているような人だった。
真夏の海にいながら、雪山のことを考えているような人だった。
「お父さまはね、言ってくださったの。妹御だとはわかりませんでしたが、あなたが美しい方だということはわかります。あなたの兄上も美しい方だから、なるほど、ご兄妹なのでしょうって」
父はそういう人だった。
自分の言葉が相手にどういう影響を及ぼすかなど、まったくわかっていなかった。
「その頃の私ね、自惚れやさんだったの。綺麗だとか美人だとか、男の人にいっぱい言われていた。でもね、そのとき、初めてほんとうに美しいって言われた気がして、なんだか泣きたくなったの。変な話なんだけど」
そのひとは、先生が父さまを想っているんだろうなというときにする表情に、とてもよく似た表情をした。
だから、次にそのひとが言ったことも、当然のように受けとめた。
「ねえ、カカシくん。一度だけでいいの。抱きしめていい?」
「どうぞ」
先生も、あんな顔をしたときには、必ずオレを抱きしめた。
そのひとの胸は柔らかくて、あたたかだった。
先生とは違う、すごくいい匂いがした。
それは、初めてオレが女の人に抱きしめられた経験だった。

そのひとが父に会ったのは、その一回きりだったそうだ。
「兄に家へ連絡を寄越すように言ってください」と伝言して、別れたその夜のうちに、連絡はきたそうだ。
「何かあれば知らせる。こちらにはアカデミー気付で言付けてくれれば伝わるから」と、ひどく素っ気無いものが。
「家の者は、忍者というのはこれだからってため息をついたけど、私にはわかった。お兄ちゃんと私、顔だけでなくて考え方も似てるの。あなたのお父さまが、きっとそのまま兄に伝えたのね。私のことを美しいって言ったことまで。それでお兄ちゃん、怒っちゃったんだわ」
オレはそのときのことを覚えていないけど、たぶん、その推測は正しいと思った。
父はそういう人だったし、先生はそういう人だ。
上忍宿舎を引き払って、オレの家というか父の家にいたのも、少しでも長く近く、父の側に居たかったからだ、というのを誰にも、オレにも隠さなかった。
いつでも父を独占したがって、オレはともかく、父のスリーマンセルの教え子、イノシカチョウのお兄さんたちまで 威嚇していた。
そんなひとが四代目火影なんて大丈夫なんだろうか。この里は。
ま、父さまの分まで、オレが先生の盾になるんだから、大丈夫なはずだけど。
先生の妹だというひとは、オレの髪をくしゃくしゃにかきまわして、ありがとう、と言った。
赤ちゃんが生まれるのだ、ということも教えてくれた。
赤ちゃんを見に行っていいですか、とオレは訊ねた。
そのひとは、先生というより、オレが覚えている父さまにとても似た笑い方をして、ぜひ、と言った。

先生の妹だというひとに会ったのは、その一回きりだ。
けれど、出会った回数や会っていた時間なんて、気持ちには関係ないんだな、と知った。
あのひとも、そんなふうに父さまを想ったのだろうか。
想ったのだろう。

妹君と会ったことを告げると、四代目火影様は、おれの妹だからきみにも姉さんみたいなものだよ、生まれた子は、きみにとっても甥っ子か姪っ子だからね、とひどく真剣な顔で言った。

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