人魚姫

そのメルヘンを読んで以来、母のサクモは人魚姫なのだとカカシは納得した。
嵐の夜に父のミナトを助け、ミナトに会うために、海の魔女へ頼み、声と引き換えにして足を貰ったのだ。魔女ってきっと大臣の大蛇丸様のような感じだ。
ただ、メルヘンと違うのは、ミナトがちゃんとサクモを見分け、愛し、カカシが生まれたことである。
でも、ミナトには、うずまきクシナという正妃がいて、サクモが離宮の奥から出ないことは、やはりお話と同じかもしれない。
「おれが愛しているのはサクモさんだけです」
カカシの前でもかまわずに、ミナトは、サクモに愛を語る。
「ミナトと結婚したのなんて国の事情です。ううん、サクモさんの傍に居られるからですってば。私はサクモさんが大好き」
赤毛の美女クシナは、サクモの膝に顔を埋めてうっとりと言う。

ある夜、その女は、一糸も纏わない姿で、海岸に倒れていたのだという。
遠駆けに来ていた火の国の皇太子、波風ミナトがそれを見つけた。
真珠色の肌に、長い銀色の髪。
蒼い瞳に、紅の唇。
ミナトは一瞬で恋焦がれ、宮殿に連れかえった。
高熱を発していた女を、ミナトは手ずから看病した。
女は生命をとりとめたが、声も、記憶も、全てを失っていた。
ミナトは、女をサクモと呼び、愛し、やがて男の子が生まれた。
カカシと名付けられた男の子は、サクモとまるで同じ容姿をしていた。
サクモと異なっているのは黒い瞳と、澄んだ声を持っていることだ。
その声で、カカシは、美しい唄を美しく歌う。
ミナトは、サクモとカカシを愛した。
だが、国を継承して、四代目火影と呼ばれるようになったミナトの妃は、サクモではつとまらない。
ミナトとは幼馴染である渦の国の姫、うずまきクシナが、ミナトの正妃となった。
クシナは、火の国を幼いときから何度も訪れていて、ミナトは喧嘩相手でしかなかったけれど、美しいサクモに心を奪われていた。
誰もがサクモを愛した。慕った。
もちろん、カカシも、母が大好きだった。
だが、皆から愛されながら、ミナトの情熱を一身に受けながら、サクモの心は、いつもどこか遠くへ飛んでいるようだった。
「かあさま。海に還りたいの?」
窓の外を見つめるサクモの視線を追い、カカシは尋ねる。
サクモはカカシを見返り、少し笑って、首を振った。
「どこにも行かない?」
カカシの銀色の髪を撫で、サクモは頷く。
「もし、海に還るときは、カカシも連れていってね」
サクモはまた首を振り、カカシを抱きしめた。

母のサクモはやはり人魚姫だったのだと、もうメルヘンなど必要がない年になっても、カカシは思っている。
ある日、ふっとサクモは離宮を出て、海に身を投げてしまった。
何があったわけでもない、普通の、昨日までと変わらない、よく晴れた秋の日だった。
遺体はあがらなかった。
だから、ミナトもクシナも、未だサクモの生存を信じて、行方を捜し続けている。
カカシだけが、納得している。
海から来た人魚は、海に還ったのだと。

皇太子に立つことを、カカシはがんとして拒んだ。
カカシの、外見は全くの母親似なのに、性格は自分にそっくりであることを知っているミナトは、不承不承、クシナとの間に生まれたナルトを皇太子とした。
幼い皇太子の守護の剣となることを、カカシは喜んで受諾した。

皇子の称号も受けず、一介の騎士として、カカシは馬を駆ける。
海岸線を走っていたカカシは、見慣れない物体に、馬を止めた。
昨夜の嵐で、何か打ち上げられたのだろうか。
近づいてみると、人が倒れていた。
全裸の背に、長い黒髪を垂らしている。
オレの人魚姫がやってきたのだな、とカカシは唇に微笑を刻んだ。

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