ルクレツィア

つまらない男ほどプライドが高いのは何故だろう、とミズキは自分の足の先を見つめながら、考えた。
好きだ。犯りたい。
その一言で、事は済むだろうに。
ミズキの前に立つ男は、とくとくと自分がどんなに将来性に溢れた素晴らしい者であるかを語り、自分の伴侶となるのは望外の幸福である、とミズキに思いこませようとしている。
早く終われ。
頬をうっすらと染めて俯き、恥らう様子を見せながら、ミズキは昼休みが終わってしまうことを懸念している。
男の言葉が途切れたのを見計らい、ミズキは目に涙を溜めてみせ、顔をあげた。
「お気持ち、嬉しいです。でも、あまりにも思いがけなくて…。私、そういうこと、考えられなくて。あの、ごめんなさい!」
怯えたふうを装いながら、小走りに駆ける。
予想通り、アカデミーの中庭を抜けた大木の下で、うみのイルカが弁当を広げていた。
「あー、腹、減った。イルカ、握り飯、くれ」
「え? なに? なんかチャラケた中忍と昼メシ、行くんじゃなかったのかよ」
イルカは、歪な形のおむすびを、ミズキに一個、わけてくれる。
「と思ったのよ。それがさあ、木の葉舞い散る銀杏の木の下がロマンチックとでも雑誌に書いてあったのを鵜呑みにしたのかさあ、アカデミーの中庭で告白ときたんだわ。腹、減って、やってらんねー」
ミズキは大口を開けて、むずびに、かぶりつく。
「おいおい、女の子だろ。ちっとは恥らえよ」
「おまえもだろ! てか、こんな大きさに作ってくるイルカの責任だろうよ」
「これだよ。昼飯をわけてくれた恩人に向かって。なんだって、こんな根性悪が、ミス木の葉とか、お嫁さんにしたいナンバーワンとか言われてんだ?」
「見てくれに決まってる」
「まあ、ミズキは美人で可愛いけどさ。その性格で地球を七回半回ってお釣りがくると思うがなあ」
「そんなの、イルカ以外に見せねえもん」
ミズキとイルカは、アカデミーの教員同士で、幼馴染だった。
イルカは、にっこり笑ったミズキの可愛い顔に騙されず、「嘘笑いすんなよ」と一目で本性を見抜いた初めての存在だった。
たぶん唯一の、友達、だと思っている。
イルカの表情が変わった。
ミズキもとっさに、ホルダーのクナイを確かめる。
妙な気配だ。
「楽しそうですね。仲間に入れてもらって、いいですか?」
ゆらり、と何もない空間から、人が現れた。
「カカシさん」
イルカが、小声で呟く。
「はい。ただいま戻りました」
カカシは、長身を折りたたむようにして、イルカの目の前にしゃがみ、そちらだけ覗いている右目を弓なりにして、笑う。
ミズキは、急に米粒が喉に引っかかったような気がした。
はたけカカシ。
写輪眼のカカシ、コピー忍者と異名をとる、木の葉最強の忍だ。
このカカシには、謎が多い。
里の中でも素顔を見た者も、あまりいない。
だいたい、男か女か、性別がはっきりしないのだ。
今は英雄となったカカシの母、はたけサクモというのが、これまた不思議な人だったらしく、木の葉七不思議の一つに、はたけ親子の謎というのがあるらしい。
ミズキは、カカシが男だと直感した。
カカシが卒業生を介してイルカと知り合い、親しくなろうとあれこれするのも、自分に近づくためだと思っていた。
だが、カカシはミズキに言ったのだった。
嘘笑いしなくていいですよ。私は、イルカ先生が好きですから。
ミズキの本性を見抜いた第二の存在だ。
もし、ミズキの直感どおりカカシが男なら、ミズキの顔に騙されなかった唯一の男となる。
「じゃ。イルカ。私、行くね。カカシさん、失礼します」
イルカのむすびを手にしたまま、思いきりよそいきの笑顔で、ミズキは辞去の挨拶をする。
「あ、ああ、またな」
イルカは、動揺したふうながらも、いつもの調子を崩さない。
「お邪魔したみたいで、ごめんなさい」
カカシが、すまなそうに頭を下げる。
「そんなことないです。時間ですから」
さらに、よそいきを重ねて、ミズキは、とっとと踵を返した。
「け」
カカシとイルカの姿が見えなくなってから、ミズキは歩きながら、残ったむずびを口の中に放りこむ。
イルカのむずびは、形はごつごつしているが、味がいい。
まるで、イルカ本人みたいだ。
「け」
もう一度、ミズキは毒づく。
言い寄ってくる男。ベッドを共にする男。
その中に、好きな者など一人もいない。
「ミズキ」
感情的になっていたせいか、声をかけられるまで、ミズキはその存在に気付かなかった。
額宛を後ろ向きにしてバンダナのように巻き、長楊枝をくわえた、背の高い伊達男。
特別上忍の不知火ゲンマ。
もう一度、け、と言おうとして、ミズキはその語を呑みこんだ。
「カカシさんなら、イルカといるわよ」
つっけんどんに言う。
ゲンマは、カカシに心酔している。
何度も同じ任務をこなして、忍としてのカカシに尊敬の念をいだくと同時に、絶世の美女であるカカシを崇拝しているのだった。
ゲンマは、カカシの素顔を見たことがある、数少ない人間の一人だった。
はたけカカシは男よ。
ミズキの放った一言に、男の夢を壊すなよ、と本気で憤慨していた。
ゲンマは、ミズキにやさしく笑った。
「おれは、カカシさんと同じ任務について、一緒に帰ってきたんだぜ? 知ってるよ。おまえを探してたんだ」
「ふうん。じゃあ、もう見つけたからいいでしょ」
ミズキは、さっさとゲンマに背を向ける。
「ああ。顔、見たかっただけだから」
柔らかな声が、ミズキの足を止めさせる。
ゲンマが、くすりと笑った。
「おいおい。可愛い顔におべんと付いてるぜ」
「え」
歩きながらかぶりついたせいだろうか。
慌てて、顔をこすろうとしたミズキの手を、ゲンマが掴んで止めた。
顔を寄せてきて、米粒をキスでなめとる。
ミズキは、からだが熱くなるのを自覚した。
同時に、世界のすべてを壊したくなった。

言い寄ってくる男。ベッドを共にする男。
その中に、好きな者など一人もいない。
ミズキが好きな人は、ミズキではなく、違う人を見ている。
イルカはカカシを。
カカシはイルカを。
そして。
ミズキに、無条件の愛情をくれるこの男は。

母の違う、兄。

いつか、自分が壊れるか、世界を壊すか。
その未来を、なめとられた跡の残る頬を指でそっと撫でながら、ミズキは、ぼんやりと思った。

戻る