東京のO阪人

「ええか、イノシカチョウ。東京でO阪弁つこたら、O阪人がいた! 言うて狩られるねん。虎ファンてバレてもえらいことになるで? 東京、来るて、それくらいの覚悟、いるねんで? 金本のアニキくらいの覚悟、あるかあ?」
受話器を持った金髪碧眼の美青年、波風ミナトは、流暢にO阪弁でまくしたてている。
様子を見ていたサクモが、くすりと笑う。
小さなカカシがとことこと歩み寄り、電話に言う。
「大丈夫だよ。東京、こわくないよ。カカシはお友達もいっぱい出来たよ」
「今のん、聞いたか? カカシ、見事な標準語やろ? これやないと生きていかれへんねん。ん、オレも普段、大学ではO阪なんか見たこともない顔して暮らしてるからね」
後の部分を、ミナトは、全く訛りのないアクセントと発音で言った。
サクモが吹きだした。
しばらく話して、電話を置いたミナトは不満そうにサクモを見る。
「サクモさん、そない笑わんかて、ええですやん」
「ごめんなさい。せやけど、ミナトの標準語、似合ってるだけにおかしくて」
「オレ、サクモさんの笑った顔、めっちゃ好きやけど、こないなふうに笑われるのは不本意やわ」
カカシが言った。
「笑わせてこそ芸、笑われるのは恥やもんね」
「ええこと、言うやん、カカシ」
ミナトはカカシを抱きあげて、その頬にキスをしてから、降ろした。
更にツボに入ったものか、サクモは銀髪を揺らして笑う。
サクモの笑い顔を見ている幸福のほうがまさったので、ミナトは文句を言うのはやめて、その顔を見つめた。
ミナトは無事に大学に合格し、サクモとカカシと共に東京に住むようになった。
カカシは小学校に入学し、サクモは東京の会社から仕事を請けるようになり、三人とも、外では標準語、家の中ではO阪弁、の格好よく言うならバイリンガル生活を送っている。
いや、格好よく言う必要はないのだが。
ミナトの高校の後輩、通称イノシカチョウの三人が、東京の大学を受験するための相談をミナトに電話でしてきたので、久しぶりのネイティブ言語による後輩いびりをしていたのであった。
「ミナト、なんだか生き生きしていましたよ。正月は、O阪で過ごしましょうか」
いや、阪神が優勝を逃して以来、マジックがイリュージョンに変わって消えて以来、ずっと落ち込んでいたのはサクモなのだが。
実は、深く静かに、誰よりもO阪人なのはサクモなのだ。
サクモが元気になることに、ミナトの異論があるはずもない。
「そら大賛成です。うーん、O阪で泊まるちゅうのもなんやし、この機会に、有馬温泉とか泊まってみたいなあ、思いますけど」
「ありまひょうえのこーうーようかく、に?」
即座に節をつけて歌うカカシは、まだまだO阪に育てられた子である。
「あっこは高いからなあ。新婚旅行でいくとこやで」
ミナトはカカシに向かって真顔で言う。
「いつの時代の感覚ですか」
サクモはまた笑う。
「いいですね、有馬温泉。予約、入れましょ」
妙に、乗り気のサクモである。
「え? ほんま? 新婚旅行、承知してくれますのん?」
ミナトは、サクモの耳元に囁く。
サクモは、箕面の紅葉よりも赤くなった。
「そういう意味、ちゃいます」
ひどく小声だ。
「ん、もう新婚とは言えへん年数になりますしね」
ミナトは、にやり、と笑う。
「その意味も違います」
サクモが先刻よりもっと小声で反論し、カカシがミナトを見上げる。
「兄さま、父さまを苛めちゃダメ」
「人聞き、悪いなあ。オレ、サクモさんを愛したことはあっても、苛めたことは……、ちょこっとあるかもしれんけど」
「好きなのに、苛めるの?」
「好きやから、苛めたなるねん」
「変なの」
「カカシもすぐにわかる、て。お隣のイルカちゃん、すぐに泣かすようになる」
「泣かさへんよ! カカシはイルカのお兄ちゃんなんだから! イルカはオレが守るんだから!」
O阪弁と標準語がまぜこぜになりながら、カカシは叫ぶ。
「ん、泣かすんはベッ…」
言いかけたミナトの口を、サクモの掌が塞ぐ。
「こどもに何、言うんですか!」
ミナトは、サクモの指をぺろりと舐めた。
慌てて、サクモは手を引く。
「ん、苛めて泣かせるんは後輩だけにしとき」
何事もなかったような顔で、ミナトはカカシに言った。

さて、ヤマト(仮名)という後輩が、カカシにこき使われ、苛められて泣くようになるのは、もっと後の話として。
東京のO阪人たちは、やたら元気に正月旅行の計画を立てるのだった。
それは、不幸の影など見えもしない、たとえて言うなら、M140の時代の話。

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