オイディプスの妻

サクモは、ミナトが任務の夜、カカシの寝台にもぐりこんできて一緒に眠る。
うんと幼い頃のカカシは、それが嬉しくてたまらなかった。
普段の夜はミナトが占有している母を、自分が独占できる夜が幸福だった。
だが、忍者になってからは、母親と一緒に寝るなんてひどく子供っぽいような気がして、そう言って拒んだ。
カカシの言に、サクモは蒼い瞳をいっぱいに見開き、小首を傾げた。
「ミナト様ともカカシとも一緒に寝ないんだったら、かあさまは、誰と寝るの?」
木の葉の白い牙と呼ばれ、戦場の最前線で敵を屠る天才忍者だったはたけサクモは、忍の任務以外の日常生活にはまるで不適格者だった。
人としても、女としても、母としても歪んだまま、若々しく美しい外見を保ち続けている。
畑の作物を守る、畑の案山子という名の通りに。
カカシは母の庇護を受ける子であるより、サクモを守るために自分は存在するのだと信じていた。
サクもがそう言う以上、カカシの答は決まっているのだった。
「他の誰もだめ。ミナト先生か、オレとだけだよ」
そうして、大きな敵から守ろうとするように、小さな手で、カカシはサクモの細い身を抱きしめる。
サクモは、ゆったりと微笑み、カカシの頬にキスをして、目を閉じる。
うんと幼いときとは違う、何か大きな幸福を、カカシは感じた。

波風ミナトはカカシの父だと、ミナトも、周囲も言う。
けれど、サクモだけが、カカシがそう呼ぶととても不思議そうに「ミナト様」と訂正し、カカシが呼びなおすと、今度はミナトがすごく悲しそうな顔をするので、カカシはミナトのことは「兄さま」と呼んだ。
忍になってからは、「先生」だ。
ミナトも稀に見る天才と呼ばれる忍だったから、5歳で下忍となり、6歳で中忍となったカカシは、なるほど二人の血を引いているのだろう。
「外側はサクモ、内側はミナト、才能は二人の混合」
三忍たちは、カカシのことをそんなふうにからかう。
「カカシくんは、おれにそっくりだよね」
ミナトも、何かにつけて言う。
サクモだけが違った。カカシは、自分にはちっとも似ていない、と言う。
カカシは、サクモを縮小しただけ、と言われているような容姿であるのに。
ミナトとの相似も、サクモには感じられないようだ。
サクモの目には、自分はどんなふうに映っているんだろう。
想像してみることも、カカシには出来ない。

ミナトやカカシが、少年から男に成長していくのに、サクモの時は止まったままに、傍には見えた。
サクモより七歳、年下であったミナトがそうは見えなくなり(年下であることを気に病むミナトは、それを喜んだけれど)、カカシと並ぶときょうだいに見えるようになった。
そうなってまだ、サクモは、ミナトがいない夜は、カカシの寝台にもぐりこんでくる。
「かあさま、勘弁してよ。オレ、男なんだよ」
「そんなの、赤ちゃんのときから知ってるわ。どうして、怒るの?」
サクモは、ただ、不思議がるばかりだ。
「違うよ。男っていうのはね」
カカシは、サクモの細い手首を握りこみ、口付ける。
息子から母への、情愛のキスではない。
長い接吻の後、サクモは妖艶に笑う。
「カカシも、ミナト様と同じことをするの?」
カカシの、短いながらに常識を積みあげてきた年月が、崩壊した。

「ねえ、生まれてくる子は、子になるの? 孫になるの?」
カカシはサクモの腹部をさすりながら、意地悪く問う。
サクモは、幸福そうに笑む。
「ミナト様の子よ」
「違うよ! オレと、オレとかあさまの!」
カカシは声を荒げる。
「カカシはかあさまの子よ。でも、この子はミナト様の子」
どこか神さびた声音で、サクモは繰り返す。
サクモは、カカシは「私の子です」としか言わなかった。
ミナトが子の父だということは決して認めなかった。いや、理解できなかったのだろう。
だが、今、胎内に宿る命は、ミナトの子だと言う。
「そうだよ。サクモさんが言うんだから、この子はおれの子なんだよ」
マントを翻し、四代目火影となった波風ミナトは優雅に歩みよってくる。
優しく接吻し、ミナトはサクモを抱きあげる。
うっとりと、サクモはミナトの首に、白く細い腕を巻きつけた。

それが、カカシが生きた母の姿を見た最後だった。
赤い月が禍々しく燃え、九尾の狐が咆哮する。
「四代目がくるまで、足止めをかけろ!」
誰かの、決死の声が耳に入った。
カカシも、焼け石に水でしかない術を繰りだす。
「四代目だ!」
歓喜の声があがった。
使役の大蝦蟇に乗り、赤ん坊を抱いた四代目が、九尾の前に立ちふさがる。
「四代目!」
カカシは、声を限りに叫んだ。
彼が繰りだそうとしている術は。
写輪眼で、カカシは必死に見つめる。

すべての音がやんだ。

赤ん坊の泣き声だけが、響く。
「四代目!」
カカシは地に崩れ落ちた金髪碧眼の男に、駆けよる。
その男の、命の灯火が消えようとしているのは、明らかだった。
カカシを見とめて、口の端だけで笑う。
「サクモさんは、一足先にいっちゃった。この子に命を託してね」
「先生!」
「おれの子だよ。名前はナルト」
「お父さん!!」
もう、呼称を訂正する者はいない。
「ナルトを頼むね」
それが、最期の言葉だった。
赤ん坊を抱き、カカシは、腹の底からの叫びを喉から発した。

サクモは狂っていた。
そう言ってしまえば、事は簡単だ。
だが、サクモは、この世界とは異なる世界にいて、その世界の法則にしたがって生きていたのかもしれない、とカカシは思う。
サクモに見えていたものが、自分にも見えるといい、とも思う。
ミナトの容貌に瓜二つの赤ん坊をあやしながら、確かに、オレははたけサクモの子で、この子は波風ミナトの子だ、とカカシは、音に出して呟いた。

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