貧しい時代のもっとも貧しい武器

真野薫が斉藤大地に指定してくるのは、いつも最高級ホテルのスイートルームだった。
大地は告げられた番号の部屋に出向き、寝台で待っている真野に身を差しだす。
真野の愛し方は、貪る、という表現がぴったりするものだった。
大地にとって自分の肉体は、真野に貪られるためにあるのだった。
肉の一片、皮膚の一枚に至るまで真野に貪られ、精神も空白となって泥のように眠る。
目を覚ましたときには、もう真野はいない。
次に真野がホテルと部屋番号を指定してくるまで、大地は、その部屋で時間を過ごすのだ。
ただ真野だけを恋いながら。

朝、起きだすと大地はプールに泳ぎにいった。
ホテル内では何を買おうと、何を使おうとルームナンバーを示すだけで、すべてが済む。
外に出ても真野のカードがあるので、家の一軒を買うことすら不可能ではないだろうが、大地がホテルから外に行くことはまずなかった。
食事もほとんどルームサービスで済ましてしまい、部屋から出ることさえ滅多にない。
不意に泳ぐ気になったのは、昨夜、水の夢を見たせいであった。
水に全身が包まれる心地よさを夢で見て、実際に感じたくなったのだった。
会員制のプールで、平日の午前中だというのに若い女性が数人いた。
ホテルが客を確保するために実施している、割引パックの利用者かもしれない。
彼女たちの視線は、大地に釘付けになっている。
大地は構わずに飛び込み、軽やかに泳ぎだした。
すんなりと伸びた、少年の匂いさえも残る均整のとれた身体。
以前はずいぶん焼いていたものだが、最近はあまり陽に当たらないせいですっかり本来の白さを取り戻している。
何もかもを吸いこんでしまいそうな、不思議な色をした距離感の深い瞳。
綺麗すぎるほど綺麗な顔。
飛沫を上げて大地が水からあがると、女性たちは、ため息をついた。
話しかけるきっかけを掴もうとするかのように、ちらちらと目で合図を送ってくる。
大地はそれを完全に無視して、何往復かするとプールから出た。

自分のすべては真野のものだ。
真野が愛でるためにだけ、自分は美しい顔と身体を持っている。
保っている。
真野のためにだけ、自分は生きている。

部屋に戻った大地は、裸のまま眠りこんだ。
水に抱かれるような心地のまま、真野の夢を見られるといい。
目を開けたときに真野の端正な顔が間近にあったので、眠る前に願ったことが叶ったのだと思った。
そう、これは幸せな夢。
しかし、夢のはずの真野は、ニコチンの強い煙を吐き、微かに笑んだ。
「相変わらず寝坊だな。もう午後だぞ」
低く掠れぎみの声。大地にとって、この世で最も好ましい音。
大地はとび起きた。
「どうしたの? 部屋に来るなんて」
「ご挨拶だな。迎えにきてやったんだが。それとも、もっと独りを楽しみたかったか」
皮肉な口ぶりで、真野は言った。
大地は泣きそうな表情で、真野に抱きつく。
「逢いたかった、逢いたかった。いつも、ずっと、薫のことだけ考えてる」
真野は、優しく大地の髪を撫でてやる。
「いい子だ」
節の目立つ男くさい指で、真野は大地の顎を持ちあげる。
キス。
最初は、そっと静かに。
やがて、激しく。
どんどん、貪るように。
キスだけで、大地の身体は熱く燃えた。

迎えにきた、という言葉どおり、真野は大地を車に乗せ、海辺の別荘に向かった。
別荘といっても、その言葉から連想されるこぢんまりとしたものではなく、リゾートホテルひとつを私邸として利用しているのだ。
真野薫の持つ権力、財力がどれほどのものなのか、大地には全貌を把握することなどできない。
ひどくだるそうに、真野が言ったことがある。
−金が使えるとこで、俺の思いどおりにならない場所は、世界中、どこにもない−
むろん、大地が真野に魅かれているのは、その力ゆえではない。
真野薫、彼本人が、斉藤大地にすべてを捨てさせた。
大地が初めて真野に会ったのは、とある経済セミナーの講師と企画者としてだった。
真野グループの若き総帥、真野薫が、国内最高峰と言われている大学に二十代で専任講師となった天才経済学者、斉藤大地を招いたのだった。
真野に会った瞬間、大地は全て捨てた。
過去、未来、仕事、地位、近親者、友人、自分自身すら。
今、大地の世界は、真野薫がすべてである。
大地は、住む場所も物も何も持たず、真野の指示のままに、ホテルからホテルへと移動して暮らしている。
移るときにも手荷物ひとつ持っていはしない。何も、いらなかった。
最上階をワンフロアとした居住部に、真野は大地を連れてきた。
全面の窓いっぱいに海が見える。波がうねっていた。
「海の、匂いだ」
大地は呟く。
「ああ。俺は、ここの海がいちばん気に入っている」
真野は目を細め、紫煙を燻らせる。
「久しぶりの休暇だからな」
「休暇? しばらく一緒にいてくれるの?」
大地は弾む声を出す。
「しばらく、な」
真野は、優しいと思えるように笑いを浮かべた。

プライベート施設だというのに、プールやエステサロンまで充実していて、大地は全身を磨かれた。
真野は、特に大地の皮膚の美しさを好むので、大地も、そのための努力は惜しまない。
大地の輝くような全裸を、真野は満足そうに眺めた。
「綺麗だ。おまえは世界の誰よりも美しいよ」
真野は、身体に比して大きな手を伸ばし、大地の首に、銀の輪を付けた。
「よく、似合う。おまえが俺のものだという証拠だ」
そして真野は、光る銀の首輪のせいで、なお裸身が強調されて、艶かしくなった大地を寝台に倒した。
髪を滑る真野の指。
全身を隈無く口付けていく形のいい唇。
「ああ……、ん、う、うん」
大地の喘ぐ声は、部屋中に響いて辺りの空気を淫猥なものにしていた。
背広を脱いで、ネクタイを少し緩めた程度で、大地を背後から責めていた真野は、打ちつける腰を緩めることもなく、煙草に手を伸ばして吸う。
セックスの最中でさえ煙草を吸う。
それは真野のいつもの行為であったが、やはり大地を悲しくさせる。
どうしても、真野を自分が独占することはないのを思い知らされる。
「あああっ」
ひときわ高く、大地は鳴き、いった。
「我慢がたらんな」
冷めた、嘲るような声音を真野は落とす。
身体の苦痛からだけではない涙を大地は落とす。
真野は、決して自分と同じように熱くなってはくれない。
だから真野の動きが激しくなり、迸りが内で弾けると安心する。真野の欲望を確かに受け入れたのだと安心する。
寝台の上に這った姿勢を崩し、俯せると奥からどろりとしたものが股を伝う。
一本目の煙草を灰皿にねじ消し、二本目に火を点けて真野はゆっくりと吸う。
だが、二口三口吸っただけで、それは灰皿に捨てられ、真野は大地の身体に手をかける。
「かおる?」
大地は不思議そうに真野を見やる。
真野は、一度の逢瀬につき一度しか大地の身体を愛さない。
それが今までの常だった。
「我慢がたらない子には、お仕置きが必要だ」
抗議の声は、すぐに喘ぎに変わる。
足を最大限に開かされた形で縛られ、後孔を、真野自身とディルドーで交互に犯される。
「ふあ……、あ、あん、あっ」
口からは、言葉として意味をなさない叫びと涎とが、溢れて絶えることがない。
「ひっ」
何度目かの絶頂を迎え、大地は失禁した。
敷布と木村の腿は、己と真野の精液、汗、そして、漏らした尿でぐっしょりと濡れている。
「ほんとうに我慢のたらん、だらしない身体だ」
長時間、大地を責め続け、何度も精を解放していながら、真野の顔も声も涼しい。
「ゆ、ゆるしてっ。おねがい、だから」
恐怖に、大地は震える。
「言葉が頼りになるか。おまえは身体で覚えないとな」
腰が砕けて立つことのできない大地を寝台から引きずりおろし、真野は大地を、グロテスクな装飾を施した木馬に座らせる。
「いや、いやっ、いやあ」
大地は激しく泣きながら身をよじるが、真野が許すはずはない。
手と足を固定し、尻を突き出させて、革の鞭を使う。
「ひいっ、ひっ」
痛みと恐怖、恥辱で悲鳴を上げるだけだった大地の声が、いつしか艶を帯びてくる。
「あん……、あ、ああん」
自分から腰を揺らし、鞭が当たるたびに甘い声をあげる。
恍惚として二度目の失禁をし、意識を手放した。

大地が我に返ると、身は清められ清潔な寝台に寝かされていた。傷に、真野が薬を塗ってくれている。
恐怖で竦んでいる大地に、真野は満足そうに笑んだ。
かしゃり。
鎖をならして、大地は真野にすがりつく。
幸福感が全身をひたしていた。

斉藤大地は、真野薫より美しく強い男を知らない。
そして、こんなにも自分を愛してくれる男も

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