媚薬

笠井泰継は、会社で賭けに負け、怪しい薬を飲まされたのだった。
飲んで、すぐに洗面所に駆け込んで吐いたが、それは確かに中国四千年の歴史が誇る秘薬だった、らしい。

笠井と同居(正しくは同棲)している佐野穂高は、アルバイトから帰ってくるなり、玄関先で笠井に抱きすくめられた。
「笠井? なに? どうしたの?」
驚く穂高の問いに答えもなく、笠井は穂高の衣服を破かんばかりの勢いで剥ぐ。
胸に荒々しく唇を寄せられ、乳頭を噛まれ、穂高は小さく悲鳴を上げる。
「うっせえ。黙ってろ」
低い声で脅しつけると、笠井は、準備もできていない穂高の内にいきなり入りこむ。
「ひいいっ」
「うっせえって言っただろうがっ」
たまらず声を上げた穂高の頬を、容赦ない力で張る。
乱暴に腰を揺すり、笠井は穂高の奥に射精する。
いったん萎えたそれを引き抜き、笠井は舌打ちする。
「だめだ。まだまだ足んねえ。穂高、くわえるんだ」
始末もしていないそれを、穂高は黙って含む。
技巧を凝らすまでもなく、笠井は穂高の口腔で膨れあがっていく。
普段と違ってその怒張はとどまるところを知らず、穂高の喉を突いて窒息させそうになる。
たまらずに、口を外し、涙ぐんで咳き込む穂高の前に、硬化して勃起した男根があった。
見慣れた笠井のものであるはずなのに、いつもとは異なるグロテスクさと巨きさに穂高は息を呑む。
その穂高の顔面に、笠井は自ら擦りたてて精液を浴びせかけた。
こんなに余裕のない笠井は初めてだった。
潔癖症の傾向がある笠井が、汗も流さない身体を抱くこと自体、穂高には信じられない。
呆然としている穂高に、笠井はやっといつもの声音で言った。
二度の放出で、いくらか落ち着いたらしい。
「悪かったな。顔洗って、風呂入ってこい」
頷いて立ち、脱がされた服をかき集めて立つ穂高の背に、笠井は穂高を、さらにびっくりさせることを言った。
「さっさとして、すぐにベッドに来いよ」

欲望の強いのは穂高のほうで、穂高がねだってねだって、焦らしながらやっと笠井がくれる。
それがいつものパターンだった。
穂高が満足するまでの行為は、滅多にない。
だが、穂高は今夜は、泣きすぎて掠れた声で、許しを乞うのだった。
「お願い、笠井。お願いだから、もう、やめて」
笠井は、その頬に平手打ちを食らわせる。
「フザケたことぬかしてんじゃねえ。いっつも欲しがって、股広げて、尻、振ってるくせによ」
薬のせいではあった。
だが、笠井は、本来、持っていた攻撃性を目覚めさせられたようである。
「じゃあ、お願い。ちょっとだけ待って。……トイレに行きたい」
切なく、穂高は訴える。
笠井は、かぶりを振った。
「だめだ。くわえろよ」
今夜の笠井の雄は、果てるということを知らずにいる。
「すぐ、すぐに言うとおりにするからっ。ほんとに、もう」
「うるせえよっ」
苛々したように、笠井が穂高の頬を、再びはる。
その拍子に、穂高の萎えていたそれから、精液とは違う雫がしたった。
「あ、ああ」
絶望的な声をあげる穂高の意志に添わず、滴りは、奔流となっていく。
笠井は、こどものような表情で、呆然とそれを見ていた。
「いや。見ないで。見ないでえ」
穂高は、腕で自らの顔を覆う。
ずっと堪えていたのか、流れはやまない。
寝台の上、シーツと布団を黒く湿らせ、重みをますようにさせてから、穂高の放尿はやっと終わった。
「ごめんなさい、ごめんなさい。怒らないで」
穂高は大きな瞳にいっぱい涙を溜め、手足を小さく縮こませている。
笠井は乾いた唇を、舌でぺろり、と舐めまわした。
脱ぎ捨てたスーツの舌から、革のベルトを引きぬき、それをしならせる。
ぴしゃり。
いっそ涼やかな音がして、穂高の背に赤い蚯蚓腫れができる。
「いや、いや。ぶたないで」
首を振り、穂高は逃げようとする。
髪を掴んでその動きを止め、笠井はまた打つ。
「あ、ああ。痛い。痛いよ、やめて」
恐怖に満ちた穂高の声。
だが、それに、わずかに色が混じり始める。
微妙に震える。
瞳の潤み方も違う。
笠井は穂高の顎をとらえ、上向かせる。
「おまえ、感じてんの?」
穂高は、びくりと身を竦ませる。
笠井が、もう一打をくれると、穂高は瞼を閉じて、甘い表情をする。
笠井は長い指で、穂高の肌をゆっくりと辿ってやる。
すると穂高は、痛み以外の感覚を味わっている表情を面に出す。
擦る。
揉む。
押す。
微妙に加減した力で、笠井は穂高の肌をまさぐる。
指先だけの、だが、絶妙な愛戯。
笠井の指が触れていくところから、穂高の皮膚は赤く染まる。
「……はあ、ああっ。……ん」
穂高の性器が反応していた。
「穂高、痛い?」
笠井は面白がっているような調子で尋ねる。
「いたいー」
穂高のいらえは、小さな子供のようだ。
「気持ちいい?」
笑いさえも、笠井の声は含んでいる。
対する穂高は、嘘を吐くことも恥じらうこともできず、自分の身体が感じている様を伝えることしかできない。
「気持ちいい」
「どんなふうに気持ちいい?」
「あ……熱くて、どく、ん、どくんする……。いたいのに……、いたいけど、気持ちいいっ」
「痛いから、気持ちいいんだよ」
笠井はくすりと笑い、愛撫の手を止めた。
続け様に笠井は、穂高の背にベルトを打ち鳴らす。
穂高は、痛みによって、さっきと同じ、それどころか、さらに強烈な快感を得た。
汗と涙で濡れた顔を上げさせ、噛み締めて苦痛に耐えたために血で赤く染まっている穂高の唇に、笠井は接吻する。
深く唇を合わせ、舌で口腔を犯してやる。
「うん……ん……んっ」
合間に甘い息を漏らし、穂高は口付けに応えてくる。
穂高の中心は完全に立ちあがり、背後もひくついて、笠井を待っている。
それなのに笠井は、唇を離すと、あっさり穂高の身体を放りだしてしまう。
「かさい、かさいぃ」
穂高は泣き声で笠井を呼ぶ。
「なに? どうした。やめてほしかったんだろ? びびって、小便まで洩らすほどによ」
「……この、まま?」
「だから、なに? どうしてほしいんだよ?」
わかっているだろうに、笠井の問いは意地が悪い。
「……して。抱いて、ください」
笠井はにやり、と笑う。
「虐められて、欲しくなったのかよ?」
穂高は俯いて身を震わせる。
不意に穂高から離れた笠井は、キッチンから食塩を持ってきた。
それを、血の滲む穂高の傷に塗りつける。
「ひっ、あっ。ああっ。やめてっ」
穂高は全身をわななかせる。
「やめていいの?」
笠井は指を止める。
穂高は激しく首を振る。
「やめないでっ」
笠井は、穂高の耳元に口を寄せ、低い声で甘く囁いた。
「教えてやる。おまえはマゾヒスト。被虐性変態性欲。穂高、おまえ、変態なんだよ」
傷口がしみるところから、確かに快感が広がっていくのを感じながら、穂高は息を荒くさせ、笠井の言葉を繰り返す。
「…変、態?」
「そう。変態」
笠井の声は、ひどく楽しげだった。
そして、痛みにのたうちまわる穂高の眼前に、吃立した己をさらす。
「欲しいんだろ。欲しくてたまらなかったんだろ」
「ああ。欲しいっ」
叫ぶと、穂高は笠井自身にむしゃぶりついた。
限界を越えて責められる歓喜が穂高に新しい快楽を教える。
胃まで貫くかと思うような他人の異物によって身は痺れ、無意識のうちに激しく喘ぎ、そのうちに身体の輪郭が溶けてなくなり、脳髄を焼かれる。
大きく開かれた足を硬直させ、背を海老ぞりにして、穂高は達して失神した。
笠井も穂高の上に伏した。

翌日、笠井は会社を、穂高もアルバイトを休んだ。
ふたりとも寝台から起きだすことも、できなかった。
穂高の汚したシーツと布団も、床に落としたままだ。
「きっしょお。あいつら、覚えてろ」
笠井はぶつぶつと同僚を呪っていた。
穂高は何かを言いたそうに笠井を見つめたが、結局、何も言わなかった。

後日、笠井から効果のほどを聞かされて、洒落のきつい同僚たちは同じ薬を探しだし、使ってみたという。
だが、それほどでもなかった、と笠井は苦情を言われた。
愛という、いちばんの媚薬が欠けていたのだ。
そんなふうに、笠井は嘯いてやった。

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