掌に掬う水

藍染惣右介は、護廷十三隊の隊長らしい隊長であるように、他人の目には見えるよう、気を配っていた。
浮竹十四郎にも、そう見えているはずだった。
そう見てくれているはずだった。
誰かを欲するなど、己には全く似合わない。
藍染は、眼鏡の奥で優しく微笑み、役柄を演じていた。
平子真子も浦原喜助も、もう、いない。
夜も更けていく酒席を一人、外れ、月を映した池の汀で風に吹かれていても、藍染らしいと感じてくれる者しか残っていない。
「惣右介くん」
大柄な身に、女物の上掛けを羽織り、笠を被って、軽薄と伊達を同時に纏わせている男が、柔らかに、藍染の名を呼ぶ。
「おっと、もう、藍染隊長、と呼ばなきゃいけないねェ。君の働きで助かる、と山じいも喜んでるよ」
京楽春水。八番隊の隊長。
ああ、まだ、この男がいた。
この男は、きっと、ずっと自分に疑惑をいだいている。
確証も、何もなくても。
藍染は、京楽に、笑顔を向けた。
「どうぞ、お好きにお呼びになってください。京楽隊長」
「うーん、女の子ならね。その言葉に甘えさせてもらうけどね。浮竹だって、君を名前では呼ばないだろう?」
「浮竹隊長は、どなたでも名字で呼ばれる方です」
「そう? 例外もあるよ。朽木隊長や、ね」
目を眇める京楽に、藍染はただ、微笑を返す。
六番隊の隊長を、つい「白哉」と名前で呼んでしまう浮竹に、藍染も何度も遭遇した。
その度に、胸が焼けつくような気がした。
これが嫉妬というものか。
その語を当てはめ、藍染は、心行くまで己を嘲笑した。
「浮竹が欲しいならね、本人にそう言えばいいよ。君の思うとおりのものを呉れるよ。浮竹はね」
言って、京楽は、膝をかがめ、池の水を掌に掬う。
「ふう。池の水に映った月をいくら掬っても、掌に掬えるのは、ただの水なんだよねェ。月は決して手に入らない」
「詩人でらっしゃる」
藍染は、低い声で呟く。
「あ、今の、いい? じゃ、次の、瀞霊廷通信の連載に生かそうかな」
京楽は、濡れた手を振りながら、立ちあがる。
「このまま帰る? 一緒に、浮竹のところに寄っていこうか。みんなが集まる場は大好きだからね。独りで寝てるの、しょげてるだろう」
この男が、わからない。
藍染は視線をあげて、京楽の瞳をとらえる。
大型の、草食動物のような目で、京楽は笑った。
「ボクはね、浮竹を好きな子は、みんな好きなんだ。かわいくてねェ」
それは余裕なのか。
残酷な楽しみなのか。
大虚と対したときにも感じたことのない恐怖を、初めて、藍染は知った。
そして、それも、知ってしまった。

浮竹十四郎を独占したい。浮竹十四郎が恋しい。

それは、かなわぬ願いなのに。
天地を引き裂くことよりも、難しいことなのに。

藍染は、草履を返す。
「料理と甘いものを、厨房に頼んで包んでもらいましょう。浮竹隊長の手土産なら、それが宜しいでしょう」
「ああ、喜ぶよ」
京楽は、笠に指を当てて、笑う。
「君が行ってくれると、浮竹がすごく喜ぶよ」
その名を他人の声で発せられるだけで、藍染のなかで、痛みと歓びが同量ではじける。
四番隊卯の花烈隊長にも癒せぬ病だな、と藍染は思った。
風が吹き抜けていき、池の水を揺らめかせた。

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