珍しく小岩井が、安田の、下の名前を呼んだ。
それから、髪の毛をくしゃり、とさせる。
おれは、そんなに弱った顔をしていたかな、と安田は思う。
昔から、小岩井も竹田も、やんだ、とだるそうにしか呼ばなかった。
だが、小岩井は、安田が何かに引っ張られそうな気分のときに、名前を呼ぶ。
そして、腕を掴んだり、こんなふうに、頭をなでてくれたり、する。
もっと欲しい、と近づいていくと、さらり、とかわされるのだが。
一度だけ、皮膚と皮膚を接近させたことがある。
何枚か上着を脱いだから、秋の終わりか冬の始まり、こんな季節だったのだろう。
何故かは、わからない。
きっかけらしい、きっかけが、あったわけでもない。
けれど、小岩井は、安田を受けいれてくれた。
想像より、あっけなく、そして扇情的だった。
何度も夢に見た。
やっと、夢も忘れそうな今頃、小岩井はこの町に戻ってきて、安田の髪を、心をかきまわす。
「今度、ジャンボと出かけるときは、おまえも誘ってやるよ」
「今日の小岩井さん、優しいすね」
「俺はいつも優しいよ」
そして、いつも、酷い。
こどもが居ることをありありと示す、積み木やおもちゃの散らばった部屋で、安田と小岩井は、それ以上の言葉も交わさず、動かずにいた。
どこかで、こどもたちが、はしゃぐ声がした。