レイン

リング争奪雷の守護者戦を前にして、雨が降ってきた。
対戦するレヴィの持つものは武器だし、見守るヴァリアー最高幹部たちも、水滴をしのぐ傘など持っていない。
必要だとも感じていなかったので、それぞれに隊服をそれぞれの通常通りに着込み、対戦会場である並森中に向かおうとした。
レヴィはとっくに会場に行って、相手を待ち構えている。
「スクアーロ」
ソファに座ったきり立つ様子も見せないザンザスが、ヴァリアー側、雨の守護者を呼んだ。
呼ばれた当の本人はもちろん、ベルもマーモンもモスカも固まった。
いや、モスカは常に固まっているけれど。
ルッスがいたなら、何か言えたかもしれないけれど。
「スクアーロ」
もう一度、呼び、ザンザスは視線をスクアーロに当てた。
普段なら、何も言わずに、物を投げたり、殴ったり、蹴ったり。
呼ぶにしても、カスとかドカスとかカスザメとか。
散々な扱いのくせに、呼ぶとなれば、ひどく優しい甘い響きだ。
鮫、なんていう下品なものでなく、この世で最も上等なお菓子とか宝石みたいな発音だ、とベルは思う。
返事も出来ないまま、スクアーロはロボットみたいな、モスカみたいな動きで、ザンザスの傍らに寄る。
「おまえの髪は長いからな。雨で濡れると風邪を引く」
囁くように、ザンザスは言った。
そして、やはり優しい手つきでレインコートのフードをかぶせた。
こええええええ。
一気に、気温がマイナス40度くらいになったような気がした。
雨に濡れたくらいで、スクアーロが風邪なんか引くわけないじゃん。
つうか、生まれてから一度でも風邪とか引いたこと、あるのかよ。
言いたいことは、頭の中をぐるぐると回ったが、だって王子だし、のベルさえ何も言えなかった。
「了解だぁ。ボス」
スクアーロも神妙な、当たり前の返事をし、きちんとフードをかぶったまま、踵を返した。
無言で、ベルもマーモンもモスカも続く。
いや、モスカは常に無言だけれど。
「スクアーロ、手と足が一緒に出てるよ」
マーモンがベルに向かって呟いたのは、だいぶんして、並森中が見えてきてからだった。
「ああ、いつもにまして変な動きだと思ったら、そうだったんだ」
ベルが頷く。
「先輩! 緊張してんですか」
ベルは、スクアーロに言う。
ベル自身の緊張も、やっと解けてきたところだ。
ほんとうに、あんなことをするのを見るくらいなら、自分が殴られたり蹴られたりするほうが、ずっと怖くない。
「う゛お゛ぉい!! なんで、レヴィの対戦で、オレが緊張しなきゃいけないんだぁ?」
ベルを振り返り、スクアーロは真顔で問う。
「だって、あんな怖い目にあったんだし」
にっとベルは笑ってみせる。
「何かあったかぁ?」
頭にフードをかぶったまま、スクアーロは幼いこどものように、首を傾げてみせた。
「え、だって、ボスにさ」
「あ゛あ゛? きっとボスは見にこねえぞぉぉ」
「恐怖のあまり、事実を無かったことにしたらしいね」
マーモンが冷静に言った。
「便利な頭」
ベルは呟く。
「単に、覚えてられない頭なだけかもしれないけどね」
さらに冷静に、マーモンは言った。

嫌がらせかもしれないけれど。
殴るより蹴るより強い衝撃を与えるために、やったのは確かだろうけど。
それにしたって、雨を避けるようにフードをかぶせてもらったことなど、スクアーロは生まれてから一度も無いだろう。
ベルは無い。
モスカはもちろん、レヴィもマーモンもルッスも無いに違いない。
レヴィなど、たった一度、ボスに褒められたことを何よりも大切な宝物にしている。
そのために命を賭ける。

ボス。おれたちはね。
ベルは、心の中のザンザスにに話しかける。
ザンザスが眠りから覚めるまで、8年間、ずっとそうしてきたように。
おれたちはね、あんた以外から優しい言葉をもらったことも、優しくしてもらったことも、一回も無いんだ。
いい? たった一回も、だよ?
だから、ボスがくれたたった一回のために、おれたちは全てを賭けるんだ。
賭けるんだよ。

雨足が強くなってきた。
「レヴィに有利だね」
マーモンが言い、そうだね、とベルが同意した。
スクアーロのフードに落ちたレインドロップが、街灯を受けて、きらきらと光った。

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