契約

大魔王べるぜバブ3世は、いつものように拗ねた顔をして、兜をとって、長い髪を掻きまわし、言った。
「あーあ。わし、人間、滅ぼそうかな」
もと宮廷薬師フォルカス・ラフマニノフは、本来の姿で、微笑んだ。
「素直に仰れば、お手伝いの一つもいたしましょうぞ」
跪き、大魔王の長い髪を掌に掬う。
「人間界に行きたい、と。契約者に会いたい、と」
「だ、だーれが! フォルカス、バッカじゃね? わしが、あの野郎に会いたいわけないじゃーん」
会いたい、と告白しているも同然の口調と表情で。
「契約者と離れているが苦痛でない魔族は、おりませぬ。片時も離れずにいたいと願うは当たり前」
手に取った髪に口付ける。
大魔王は、ひどく幼い顔をする。
「それは、大魔王の地位につかれましても、変わらぬこと。王家の紋章を刻まれしほどの男。あの男にお会いになりたいのございましょう?」
フォルカスは、3世の耳元で囁く。
「わし、おまえの、そーゆーとこが、きらいー」
幼子のように、唇を尖らせる大魔王に、フォルカスの笑みは、ますます深くなる。
「それは困りました。フォルカスは、べるぜバブ3世様の、御為に宮廷薬師の職を辞しましたものを」
その立場上、特定の王子や魔族に肩入れするわけには、いかなかった。
だから、地位を捨てた。
ここに座す、たった一人の、彼の主のために。
「フォルカスが、お苦しさを取り除いてさしあげても?」
フォルカスの笑みは、魔界の誰よりも、禍々しく、妖しい。
「もー、さっさと、しろってーの」
大魔王は、投げやりな言葉とは裏腹に、小さく息を吐いて、目を閉じた。

魔族は、快楽を好む。
欲望に忠実だ。
人間とは違う、かりそめの身体であるはずなのに、人間よりも、その欲に酔う。
大魔王は、火よりも熱い吐息を洩らす。
魔の身体をくねらせ、フォルカスの愛撫に反応する。
「もっと、もっと感じてくださいませ」
魔界医者の舌は地獄の生き物のように、大魔王の肌を這う。
耐えきれなかったのか、3世は声を挙げた。
愛しい、恋しい存在。
たった一人の主。
彼は、決して、フォルカス一人のものには、ならないが。
魔界を統べる大魔王であり、子を持ち、契約者を恋い慕う。
それは、うたかたよりも儚い、欲だけの繋がりでしか、ないのだけれど。
「フォルカスが、いつも、おそばにおります」
誓約を、大魔王が聞いている様子はなかった。
ただ、快楽に落ちていく。

「フォルカスう。なんかー、わしの子が、熱、出したってー。行ってきてー」
ゲームの画面から目を離しもせず、大魔王べるぜバブ3世が言う。
珍しい、とフォルカスは思った。
このような命令は、珍しい。
動く。
また、時代が動く。
直感だった。
そして、フォルカスの直感は、外れはしない。
「承知いたしました」
跪き、大魔王の髪に口付け。
フォルカス・ラフマニノフは、人間界に行く準備に入った。
大魔王が一度だけ振り返り、フォルカスと目を合わせるより早く、画面に向き直った。

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初出 2011/01/23 プチオンリー参加有料ペーパー