ノルウェイの森 3

スペルビ・スクアーロのその行動は、ボンゴレリング争奪戦後の長い謹慎を解かれ、ヴァリアーとしての、任務が再開されるようなった頃、始まった。
「ザンザス! ボス、どこだぁ!」
大声が、ヴァリアー本部の幹部サロンを揺るがせる。
「落ち着きなさい、スクちゃん。部屋の中で剣を振り回さないのって、何度、言ったら、わかるの。ボスはボンゴレ本部で会議なの」
ルッスーリアが、宥める。
「うぉぉい! オレを連れずに、クソ老いぼれのところに行ったのかぁ」
即座に、飛びだそうとするスクアーロの肩をレヴィ・ア・タンが、とらえる。
「俺もお供できなかった。ボスはお一人で行かれた」
レヴィはレヴィで不満らしい。
ちょうど良く、というのかタイミングが悪くというべきなのか、ザンザスが、長身を戸口に現した。物も言わずに手近な燭台をスクアーロの頭部に投げつけ、そのまま、歩みを返す。
「ボス、帰ったのかぁ」
痛みと衝撃はかなりのものであろうに、スクアーロはすぐに立ち直って、ザンザスの後を追う。
サロンに残った幹部たちは、そろってため息をついた。
後追い。
幼児が母の後を追うそれを、スクアーロは今、ザンザスに示している。
スクアーロがザンザスしか見ていないのは、もともとのことだが、最近は病的だった。
ザンザスの不在で身体症状を表すこともある。
「ボディブローって後からじわじわ効いてくるのよねえ」
燭台を片付けながら、ルッスーリアが呟く。
ザンザスが眠っていた八年間、事実上、隊長の役割を果たしていたのはスクアーロだ。
ザンザスが目覚めてすぐのボンゴレリング争奪戦も、実戦の先頭にはいつもスクアーロがいた。
処理も終わり、人々の記憶も薄れた現在になって、スクアーロはザンザスがいなくなる恐怖に耐えられないことに、気付いたらしい。
「バカが思いつめると厄介だね」
べルフェゴールが意地悪く笑いながら言った。
誰も否定しなかった。

「ボス、ザンザス、なぁ。老いぼれは、ひどいこと、しなかったかぁ」
ザンザスの居室まで追ってきたスクアーロは、不安そうに問う。
「黙れ、カス」
 ザンザスは、スクアーロの腹を蹴る。こたえた様子もなく、スクアーロはザンザスを見あげる。
嘆息したいところを、ザンザスはこらえた。
最近のスクアーロの異常には、ザンザスも気付いている。
異常といえば最初から異常だったが、この頃は、ザンザスの姿が見つからないとなると震えて動けなくなり、呼吸困難を起こすことさえある。
良い医者をさがすべきだろう。
だが、今、医者を見つけていない以上、ザンザスがスクアーロの前に姿をさらしておいてやるしかない。
上着を脱ぎ捨て、ネクタイを抜く。
「ほら、てめえもさっさと脱げ、カス」
スクアーロを振り返って言う。
「あぁ? やるのかぁ?」
「ドカス! シャワーを浴びんだよ。その間も待てねえんだろ?」
「あ、あぁ、オレも一緒に浴びるぜぇ」
幼児のような物言いと、仕草だった。
部屋に備えつけられた浴室は、高級ホテルのスイートルームに付いている程度の広さと機能がある。
大男二人が並んでも、窮屈な印象はない。
温かい湯に皮膚についた埃を流して、ザンザスは人心地ついた感覚を持つ。
全裸のスクアーロにも、頭からシャワーをかける。
スクアーロは、無邪気に笑った。
スクちゃんは、ほんと、お人形さんみたいねえ。
ルッスーリアの、口癖のようになっている言葉を、ザンザスは思いうかべる。
思いうかべた自分に嫌気がさす。
その言葉が、ルッスーリアが使うときとは違った意味合いを持ってうかんだのだ。
銀色に光る剣を置いて、手袋に包まれた左の義手も外し、黒光りするヴァリアーの制服を脱いだスクアーロは、漂白されたように色を持たない。
まるで人造のマネキンだ。
「頭の先からつま先まで、てめえは真っ白だな」
ザンザスが言うそれは、決して褒め言葉ではない。
スクアーロは、俯いて足下を見た。
「オレに色がついてないのは、オレのせいじゃないぜぇ」
彼にしては、ずいぶんと小声で言う。
もう、ザンザスも知っている。
スクアーロの禁忌の生まれを。
裏切られた悲しみと怒りはどちらが強いのか、ザンザスにはわからない。
ザンザスはスクアーロではないし、スクアーロはザンザスではない。
「は。色なんざ無くても困らねえよ」
視力に問題はないのだし、太陽の光に焼けない皮膚も、日中、歩けないほどではない。
見た目が白いことなど、障害でもなんでもない。
「クソ目立つ、この髪を切らねえてめえが悪い」
「うぉぉい。これは誓いの願掛けだぁ」
「うるせえ」
水を流したまま、ザンザスはスクアーロの前髪を鷲掴みにして、引き寄せる。
口を寄せ、スクアーロの薄い唇を噛みきった。
鮮血が滴る。
「色、付けてやったぜ」
唇の片端でだけ、ザンザスは笑う。
スクアーロは唇に右手のひとさし指を当て、その指先を染めた赤に、うっとりと笑んだ。
「ボスの瞳の色だなぁ。オレ、この色がいちばん好きだぜぇ」
「ドカスの好き嫌いなんざ知るか」
吐きすてるように言いながら、もう一度、唇を寄せる。
今度は、情事の始まりを告げるキスだった。

ろくに飛沫も拭きとらないまま、寝台にもつれあって倒れこむ。
セックスするときは、ザンザスはスクアーロに乱暴を働かない。
丁寧に、優しく。
腕で身体を支えて、自分の体重をスクアーロにかけないように。
丹念に肌を愛撫して、スクアーロのほうが焦れてくるのを待つ。
「ザン…ザス」
情人を呼ぶ甘い声音で、スクアーロがザンザスの名を囁き、白い白い皮膚に覆われた、細い細い腰を揺らめかす。
いきりたったスクアーロの雄も、それ自体が意思を持った生き物のように揺れる。
ザンザスは体勢をかえてスクアーロを抱きよせ、左手でスクアーロの雄を刺激しながら、右手は奥を開いていく。
「も、…い、から!」
スクアーロは、右手でザンザスの背に抱きつき、腹をすりよせる。
ザンザス自身も、とっくに張りつめている。
唇に、軽い接吻をしてから、ザンザスはスクアーロの奥に進む。
キツい。
スクアーロは、必死で悲鳴を噛みころしている。
宥めるように、長い銀色の髪をかきあげ、撫でる。
「スクアーロ」
恋人に捧げる甘い声で呼ぶ。
「あ、ザ、ンザ、ス」
返す、スクアーロの声が掠れる。
銀の瞳が潤んでいる。
ふ、とザンザスは短く息を吐いた。
そして、一気に放出へと向かった。

「……ボス。痛ぇ」
スクアーロが、情事の名残を残した蕩ける声で言う。
「どこだ?」
煙草を吸っていたザンザスは、隣に横たわるスクアーロの髪を梳く。
「左の手ぇ。剣、持つのがつれえくらい、痛ぇ」
幻肢痛。ザンザスの胸が痛む。
「触っても大丈夫か?」
ザンザスは、スクアーロの左腕の肘から先の空間を摩る。
「そうされっと楽」
スクアーロは、満足した猫のように目を閉じる。
「凄ぇ、ボス。オレのこの痛いの、治せんの、ザンザスだけだぁ」
スクアーロは、ザンザスの背に手を回す。
現実には、右手の指しか、背にはないはずだった。
ザンザスが出会ったときにはもうスクアーロの利き手である左手の、肘から先はなかった。
一回も記憶されていないのだから、思い出したわけでもないのに。
ザンザスは確かに、背中にスクアーロの左手の、熱さを感じた。

医者をさがす前に、スクアーロの、ザンザスの後追いはおさまった。
おれは剣帝を部下にしたはずだが?
その一言で、二代目剣帝を名乗るためと称して、百番勝負などという阿呆な旅に、スクアーロは出てしまったのだ。
今度は、呼んでも帰ってきやしない。勝手なものだ。
自分が子離れできない親みたいだ、とザンザスは少し、笑った。

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