ブルーブラッド

スクアーロは、ディーノに最初から全部をくれた。

マフィア関係者子弟が多く在籍するからか、ディーノの通う学校は、セキュリティは厳しくカリキュラムはゆるかった。
学期の途中だろうとなんだろうと、生徒は入学してきたり退学していったりした。
授業の途中だろうとなんだろうと、生徒はやはり出たり入ったりした。
そのゆるさは、ディーノが慣れ親しんだ港町の、明るいフランクさとは全く違う。
人間と人間の絆がゆるんでいる、ルーズさだった。
いやでいやで、たまらなかった。
しかも、運動も勉強も、ディーノは「抜きん出て」劣っていた。

「どうしろってんだよ、おい」
ディーノは裏庭の木陰にすわり、ノートとテキストの山を放りだした。
学校の、罰のような宿題にくわえて「家庭教師」リボーンの出した課題がとんでもない量になっている。
「う゛お゛ぉい!! オレに出ていけってかぁ」
いきなり、頭から怒号が降ってきた。
ぎょっとして、ディーノは起きあがる。
葉が散って、樹の上から銀色が舞いおりてきた。
ひどく細身できつい顔立ちをしている。
ディーノと変わらない年頃に見えた。
「いや、そんなわけじゃないんだ。人がいるって知らなかったからさ。ほら、きみに言ったんじゃない」
ディーノは早口で言い訳をする。
この学校に来てから、口にすることといえば言い訳ばかりのような気がした。
「なんだぁ、それ」
ディーノの言を聞いているのかいないのか、銀色は、左手の親指をくいっと曲げて、本とノートの山をさした。
「宿題」
端的に、ディーノは答えた。
「う゛お゛ぉい!! そんなに宿題が出るクラスがあるのかぁ。どこのモンだ、おまええ」
銀色は、いっそ感動したふうな声を出す。
ディーノがクラスルームを告げると、ますます声が大きくなった。
「オレには出てねえぞぉ。わかったぞぉ。バカだ、おまえ」
同じクラスらしいことがわかったが、ディーノはこの銀色を知らない。
ろくろく学校に来ていないのだろう。
そんな奴に「バカ」と言われてしまった。
がっくりくるが、言い返せなかった。
これが学校のものだけではないことを付け加える気力も無い。
「数学はどれだぁ」
銀色はディーノの許可を得ることもなく、山を崩す。
「あったぞぉ。なんだああ。まだ、こんなのか。説明を読めば解けるぞぉ」
これもまたディーノに断りもなく、自分の胸元からペンを出し、テキストに答を書きこんでいく。
「わ、待って、それ」
止めようとするディーノに、鋭い一瞥をくれる。
怖かったので黙った。
銀色は、お気に入りのゲームでもしているように、楽しそうに問題を解いていった。
「あぁ、もう終わりかぁ。もっと無いのかぁ」
本とノートを、銀色は漁る。
「国語、歴史、つまんねぇ。ラテン語は嫌いだぁ。なんだぁ? 日本語ぉぉ? こんなクラス、あったか?」
銀色は、やはり銀色の瞳をディーノに向ける。
「これは、学校から出てるんじゃないんだ。その、おれの家庭教師が」
ディーノは、キャバッローネの十代目を継ぐ身であった。
本人はマフィアになど、なりたくは無いのだけれど。
キャバッローネは、ボンゴレファミリーと同盟を結んでいて、縁が深い。
ボンゴレT世が日本に隠棲して、その血筋が日本で受け継がれているせいか、ボンゴレの主だった者は日本語を学習する。
スパルタ家庭教師は、ディーノにまでその日本語学習を強いた。
しかも、説明が英語だ。
日本語と英語が同時に上達するぞ。どちらかダメなら、両方がダメということだがな。
赤ん坊のなりをした家庭教師リボーンは、くりくりしたいかにも可愛らしい目で、非情な宣告をした。
「これは字かぁ? 面白いぞぉ」
銀色は、英語を声に出して読みあげ、日本語の練習を始めた。
制止するのも諦めて、ぼんやりと、ディーノは銀色を見守っていた。
そして、不意に気付いた。
「ねえ、きみ、イギリス人?」
「あ゛あ゛?」
銀色がテキストから目を上げ、やぶにらみに、ディーノを睨んだ。
「すごく、発音がきれいだから。そんな発音、おれ、出来ない」
リボーンが来る前に、上流階級の英語というものを教えられた。
当然のように、ディーノはそれもダメだったが、耳はなんとなく覚えている。
「違うぞぉ」
それだけを言い、銀色は本を閉じた。
立ち上がって、大きく伸びをする。
「う゛お゛ぉい!! 邪魔だぁ」
唐突にディーノをつき倒し、銀色は去った。
尻餅をついたまま、唖然として、ディーノは銀色の細い背を見送った。

とんでもない強さで、とんでもない剣技の磨き方をしている、スクアーロという名の少年剣士が校内にいることはディーノも知っていた。
だが、そのスクアーロがあの銀色と一致したのは、ディーノに絡んでいたズッコをスクアーロが文字通り斬りすてたときだった。
ディーノは、スクアーロに何も言えず、尻餅をついたまま、その細い背を見送っただけだった。

あのとき、自分がわかっていれば。

わかったのは、ずいぶんと時間が経ってからだった。
痛く苦い経験を経て、自他共に認められるキャバッローネの十代目となり、跳ね馬という別名がイタリアじゅうに広がるようになってからだった。
スクアーロは、ディーノに最初から全部をくれた。
数学を解き、美しい英語を発音し、日本語を読み、ディーノの敵を斬った。
スクアーロの能力の全部を見せてくれた。
ディーノにくれた。
受け取らなかったのは、ディーノだ。
後から、どんなに欲しがっても、スクアーロはくれない。
手に入らない。
自分の身体の一部まで、利き手の左手まで、スクアーロはザンザスに捧げていることを、ディーノは更に後になって知ることになる。
自分のほうが先だったのに。
自分のほうが先に、スクアーロに貰っていたのに!
どんなに歯噛みをしても、遅い。

「何故、助ける?」
呼吸も覚束ないのに、その眼は光を失っていない。
「同級生だから」
ディーノの答に、スクアーロはますます目を見開く。
「まだ、借りを返してなかったからね。ズッコを斬ってくれた。数学も解いてくれたし、英語も日本語も読んでくれた」
ディーノは、血にまみれたスクアーロの頬に、そっと手を添える。
「ありがとう。これも、まだ、言ってなかった」
「へなちょこめ」
息だけで言い、スクアーロは目を閉じる。
「大手術になる。でも、おまえならきっと耐えられる」
「髪は切るな」
はっきりと、スクアーロは語を発した。
「は?」
そばについているロマーリオが、訝しそうな表情になる。
「髪だけは切るな。ちょっとでも切ったら、おろすぞ。他のところはどこでも切れ。手でも足でも、何を切っても、オレの剣の腕は変わらない」
「切らねえよ」
ディーノは微笑んで、スクアーロの長い髪を掌にささげもつ。
手櫛で、だが丁寧に梳き、まとめる。
「切らねえよ、安心して」
スクアーロの意識が落ちた。
よほど苦しいのだろうな、とディーノはスクアーロのことを思う。
いつもの乱暴な口調を出せなかった。
本来、彼が属しているのだろう階級の発音に、なってしまっていた。
剣と教養を身につけ、生まれながらに持つものを躊躇なく他人に捧げることを誇りとする、ブルーブラッドー高貴なる血筋の発音に。
自分のものだったのに。
受け取らなかったのはディーノだ。
知らなかったというのは、言い訳にならない。
あんなに言い訳ばかりしていた頃だということも、言い訳にならない。
受け取らなかったのは、ディーノだ。
そして、受け取ったのはザンザス。
それだけ。
それだけだ。

スクアーロは、ディーノに最初から全部をくれた。
くれたのだ。

ディーノは、もう、キャバッローネの十代目だ。
今度は失わない。
再び出会った、銀色を。
育ちに反して、わざと乱暴に振舞う少年を。
無邪気に「十代目の右腕になる」のだと語る少年を。
銀色をからめとる跳ね馬の鞭を、現在のディーノは持っている。

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