赤尾隆は苦労人だった。
保護者を早くに亡くし、大学の学部も大学院も常に働きながら通った。
そして、分析力と独創性に溢れた論文をこつこつと書き、じわじわと学会で認められていった。
自身が決して恵まれてはいなかったからか、学生や教えを請う者の面倒見は良く、教育者としての評価も高かった。
しかし、私生活は奇妙だった。
赤尾隆は婚姻関係を結んだことは一度もないが、自宅で零を養育しており、彼は赤尾を名乗っている。
だが、零は、生母の戸籍に婚外子として入っているだけで、認知もされていない。また、その生母は、零を産むとすぐに没している。
「はっきりと妙なのは、この三年ほどですか。権威に固執し、ひどく攻撃的になっている」
「明夜を教えたからだ」
淡々とした重原の報告を聞きながら、煙草を燻らせていた広臣は、あっさりと断じた。
「こつこつ型の人間が、初めて真の天才てものを見ちまったんだ。しかも、本人には、まるでその自覚がなくて、赤尾には価値が見出せない小説書きをやっていくという」
「今までの自分を守るためには、明夜さんの実力、明夜さん自身を否定するしかないですね」
重原も、落ち着いて答える。
広臣は重原の顔を見て、にやりと笑う。
「おまえは冗談みたいに頭がいい。オレも天才だ。けど、明夜を突きつけられたら、そんな自信がなくなるだろう?」
「確かに」
苦くはない、柔らかい笑みを重原は浮かべる。
「同情せんわけでもないが、妙子にひどい真似てのが許せねえな」
「どうしますか」
「はん。奴がいちばん執着しているものに裏切らせてやれよ。おまえの情報と、オレの金と権力で。今まで、さんざん疑ってきたんだ。使ってやらにゃあ」
重原は、無言で首肯した。
残忍なまでの帝王の命令で、心に刃を持つ男がその鞘を捨てる。
学問の世界が大々的にマスコミに報じられることなど、滅多にない。
大学のブランドが幅をきかせ、学会といっても、そんなに権威を持つものではない。
ましてや文系の学問など、一般の人は、その存在さえ知らない学会や機関誌が、ほとんどだろう。
その記事も、全国紙ではあるが、夕刊の文化覧に掲載されたものであり、事件性はまったく、ない。
最近、台頭が著しい思想家が、本来なら専門外である文学研究を、見事な分析で持って論じ、問題点を指摘したのである。
そのなかで、赤尾隆は実名で堂々と批判された。
それは、決して私情からくるものではなく、理路整然とした学問上の指摘であった。
その記事に対して即座に反応したのは、赤尾自身でも、文学研究の学派でもなく、最初の思想家の論客とされる、やはり思想家だった。
後の思想家は、先の思想家の矛盾点をつき、文学研究の分野でも、既に解答を出している、と反駁した。
既に解答している、というのは明夜や妙子の研究であり、後発の記事も、結局は赤尾を落とすことになっている。
新聞だけではなく、雑誌にも思想家たちが寄稿し、その頃になって、やっと東都大学を始めとする文学研究の学者たちも発言しはじめ、論争を産んだ。
赤尾の分は悪かった。
出だしが出だしであっただけに、赤尾は無能で、弟子の研究を我が物とし、あるいは黙殺している存在、と見なされていったのである。
仕掛けたのは、むろん重原であった。
しかし、違法なことは何もしていない。
これ、と見こんだ思想家に、赤尾、妙子、明夜の論文を見せ、学会の状況を示し、執筆を依頼したのである。
思想家は、重原が思ったとおりの論を展開してくれた。
ブランド大学偏重の、現況の学会に飽き足らない若手がのってくるだろう、というのも読み通りだった。
マスコミに続いて、やっと学会が重い腰をあげた。
赤尾の反論を機関紙に発表し、東都大学文学部がその学内学会で春日妙子に発表を要請した。
東都大学といえば、最もブランドとされる大学である。
学内学会といえども、そこで発表されたものは、文学の学会以上に効力を発する。
東都内のみならず、マスコミや一般の注目を受けるなか、妙子は発表を承諾した。
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