仕事する男 1

「司令、ガラスを爪で引っかく音って好きですか」
「寒気がするの」
「それが、ずうっと続いてる状態って我慢できます?」
「拷問じゃな」
「それと同じですよ。あの野郎と一緒に仕事しろなんて」
「では、他にどんな方法があるのか、言うてみい」
長身で白金の色の髪をした男は、ぐっと詰まった。
前髪を長く伸ばして左眼を隠し、そちらだけ覗いている右の瞳は紫である。
司令と呼ばれた小柄な老人は、おもむろに書類に印を押す。
「事態は一刻を争うておる。アイリがどうなっても構わんと言うのなら、いつまででもごねておれば良いわ」
白金の髪の男は、老人から書類を奪いとった。
それは軍用機の使用許可書である。
無言で踵を返す長身の背に、司令は語を投げる。
「念の為に注意しておくが、自分で操縦するんではないぞ。カナン」
猫背気味の背がぴくりと反応する。
「ついでにパイロットの首筋に刃物を当て、もっとスピードを出せなどと脅すのも禁止じゃ」
振り返った顔は、その言が痛いところを突いていたことを示していた。
「了解しました」
不承不承といった様子で、カナンと呼ばれた男が敬礼をする。
「無事と成功を祈っておる」
司令が言い、今度こそカナンは速足でその場を去った。

「謹んでご辞退申しあげる」
柔らかな茶色の髪と、同じ茶色の瞳をした男は、柔らかな容貌に似合わない謹厳な口調で言った。
「そう言わねえでくれよ、アミ・トラスト」
金髪碧眼の美貌と称していい容姿をした男が、苦笑を浮かべる。
「エイボン大佐、貴殿の頼みだ。引き受けるに吝かではない上、アイリをすぐにも助け出したいという情は貴殿に勝るとも劣るものではない。しかし、邪眼のミラと組めと言われるは……おとといきやがれ、こん畜生、だ」
金髪碧眼の男の苦笑は、束の間、本格的な笑いになる。
「カナンとセリフが全く同じだぜ。おまえら、本質的に気が合ってると思うがな」
トラストは、心底、嫌そうな表情をした。
「我が中央情報局だけで、任務を遂行するのではどうか?」
「はん。出来るんなら、とっくにやってっだろ? こうやって悠長に俺と世間話なんざしてねえで」
トラストは、エイボン大佐を睨んだ。
大佐は、その視線を軽く受け流す。
「俺らも、邪眼のミラちゅう切り札、切っても、独力じゃ勝てる見込みねえんだわ。頼むよ、協力してくれ」
「あ奴だけは、いやだ」
「そこをなんとか」
「この世に相性というものがあることを、それが、とことん合わないということがあることを、あ奴を見て知った」
「俺の育て方が悪くて、ろくでもない野郎に成長したのは否定しねえけどもさ、そこまで嫌わなくてもいいんじゃねえか」
「好き嫌いの問題ではない。身体が拒否する」
「そこまで言うんじゃ仕方ねえか。ああ、可哀想な俺の部下、ミイシ・アイリは異郷の地に果てんだなー。兄とも慕う我がガイアの誇る中央情報局の切り込み隊長にも、邪眼のミラとか呼ばれる軍情報部の切り札の恋人にも見捨てられて」
「じゃけん、アイリの恋人ちゅうのを認めん、言うちょろうが!」
トラストは、立ちあがって、エイボン大佐の胸倉を掴む。
「なんで、ぬしがついとって、止めんかったんじゃ!?」
「アイリが選んだんだ。仕方あるまい」
「仕方あるまい、で済むか! ぬし、アイリが可愛いないんね? カナンは可愛かろうもん、スパイとスパイで恋仲んなって、幸福な結末のあろうはずは、ないじゃろが!」
「だから、アイリが選んで、カナンが選んだんだ! 傍からどうこう言えるものじゃないだろう! 馬に蹴られて死にたいのか」
茶と蒼の瞳が、互いを映しあった。
しばしの沈黙の後、どちらからともなく嘆息する。
手を離し、トラストは再び席に座し、指を組んだ。
「急を要するのであったな。我らが争っている間はない。今回は、私が泣こう。高い報酬を期待する」
「おお、麻雀のツケ、全部チャラにしてやらあ」
ネクタイを直し、エイボン大佐は笑う。
トラストは、もう一度、嘆息した。

闇の中で、ミイシ・アイリは目を覚ました。
両手首を合わせて後ろにまわされ手錠で固定され、足首に錘がつけられている。
だが、身体を傷つけられてはいないようだ。
プロだ。
アイリは胸を撫でおろす。
プロならば利用価値がある間は、人質を殺さないだろう。
時間を稼げば、エイボン大佐が、なんとかしてくれる。
それまで自分に出来ることは、体力を温存することのみ。
アイリは、眠るために瞳を閉じた。

白金の髪の男と、茶色の髪の男が、押し黙ったまま森を行く。
「中央を空けていいのか」
白金のほう、ミラ・カナンが口を開いた。
感情のこもらない低い声である。
茶色の髪の男トラストは、カナンと目を合わせないまま、淡々答える。
「我が中央情報部は、指令を出す一人が欠けたからと言って、混乱に陥るような脆弱な体系で構造されてはいない」
「もう、何万回目だかわかんないけど、どうして、あんたがキースと仲がいいのかが、わかんないよ」
「私とて、なぜ、キースが貴様のようなガキを可愛がっているのか解せぬ」
相手の顔を見ないようにして、カナンとトラストは溜息をついた。

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