仕事する男 3

「大佐、訊いてもよろしいですか?」
茶を運んできたアミ・トラストの部下、リーシャが言った。
「ああ?」
ネクタイを緩めて茶を手に取りながら、キース・エイボン大佐はリーシャを見る。
「うちの大将は、なぜ、あんなに大佐の坊ちゃんと合わないんでしょう? 大将は人間が好きなお人ですし、坊ちゃんは、大将の好み、ど真ん中だと思うんですけど」
一度、手に取った茶を卓に置いて、エイボン大佐は笑い転げた。
「まさしく、ど真ん中すぎたんだよ。そうか、知らねえか。知らねえよな」
エイボン大佐の笑いはやまない。
「おれに聞いたって言うなよ。一生、知らない振り、してろ」
「失礼します。質問は忘れてください」
とっさに逃げ出そうとしたリーシャの手首を掴み、エイボン大佐は語を継ぐ。
「こんな面白いネタ、おれ一人でかかえてるのも、勿体無くてしょうがねえしな。あのな、トラストは、カナンを嫁にくれって、おれに言っちまったんだよ」
「……は?」
笑いで、エイボン大佐の喉は震えている。
「今じゃ、あんなに図体もデカくて、邪眼のミラなんて呼び名にぴったり合っちまってるようなムサ苦しい野郎だけど、ガキの頃、カナンは阿呆みたいに綺麗で可愛くてな」
「大佐の坊ちゃんは、今でも充分、色男さんだと思いますよ」
「そうか。リーシャはほんと、世辞と社交辞令の入れ方が上手いよな」
「いえ、お世辞でも社交辞令でもなく」
「ありがたく聞いとく。で、まあ、女の子に間違われるのもしょっちゅうだったんだが、トラストの奴、カナンを見るなり、16になったら嫁にくれ、と」
「……大将」
「で、カナンが16になったとき、トラストんとこに出してやったわけよ」
「……大佐」
「カナンが16だから、まだ、トラストは謎の美人スパイ、やってた頃だ。あの頃のトラストもまた、阿呆かってくらい綺麗でな」
「今でも充分、うちの大将は美人さんで通ると思うのですが」
「リーシャはいちいち律儀だな。で、まあ、カナンはトラストを綺麗なお姉さんだと信じたらしくてな。記念すべき初恋をトラストにしちまったわけだ」
「……坊ちゃん」
思い出し笑いも加わったらしく、エイボン大佐は卓に突っ伏して笑う。
「互いに真実と、互いの中身を知って、磁石の同極みたいな反応を示すようになって、現在に至るわけだ。おれ、奴らがいやな顔をするたびに、面白くてたまらねえんで、その機会は逃さないようにしてる」
「……大佐が諸悪の根源のような気がしますが」
「錯覚だ。まあ、こんなに面白い経緯が無かったとしてもだな」
なんとか笑いをおさめつつ、エイボン大佐は改めて、茶を飲む。
「トラストとカナンは似すぎてる。同質だ。自分が他人として目の前にいるみたいで嫌なんだろ」
「ああ、わかるような気がします」
リーシャは頷いた。
「大将も坊ちゃんも同じものに魅かれ、同じものを厭う。そういう傾向はありますから」
「な。二人とも、おれとアイリが、どうしようもなく好きだろ」
「……否定はしませんが、ご自分をまず、言われなくても」
「おれは現状認識が的確なんだ。さて、そろそろ戻るか。ご馳走さん」
「いえ、茶の一杯しか出してません。もう少し、ゆっくりしていかれては?」
「ほんと、リーシャは社交辞令が上手いな。トラストが、安心して留守できるわけだ。うちは、アイリが連れてかれちまって、そういうのが出来る奴がいないんだよ。ああ、今、かかえてる案件は処理しないほうがいいぞ。引き伸ばせ。じゃあな」
軍服の上着を肩にかけ、金髪碧眼の男は出ていった。
「あれ、大佐、帰られたんですか。せっかく、珍しい茶菓子が手に入ったのに」
皿を持って入ってきた、これもアミ・トラストの部下ユージンが、残念そうな顔をした。
「日もちする物なら、置いとけ。また、すぐ来られる」
リーシャは、椅子に深く背を凭れかけさせた。
「軍情とうちを、同時に指揮なさるおつもりらしいからな」
「え? いくらエイボン大佐とはいえ、それは無理なんじゃない?」
「無理じゃない。既に、うちの全てを把握しておられる」
リーシャは手をのばし、ユージンの持つ皿から菓子をとった。
「軍情は軍情のやり方、中央は中央のやり方で、大将が居ない間も進めるようだ」
「え、だって、大佐は生え抜きの軍人で、うちの方法とは合わないんじゃなかったっけ。よく、大将とやりあってるじゃないか」
「合う合わないはあっても、大佐はうちのやり方を理解して、大将と同じに、指示を出せる。たぶん、軍情には軍情の定石どおりの指示を同時に出しておられるだろう。こわいお人だ」
「立体的に物事をとらえて多層的に行動できる稀有な人間だ、って、大将が大佐のことを言ってたね。そういう意味かな」
自分も菓子を齧りながら、ユージンは呟いた。
「わ、これ、すっげ、美味い。大佐と大将の分も取っとこ。後で知られたら、どうなるか、わかんないもんね」
「そうしろ。そうしろ。その部分は、いちばんこわい人だ。二人とも」
リーシャは苦笑した。

拷問はされなかった。
形だけの尋問をされ、食事もきちんと供された。
自分には政治的な利用価値がある、と判断されている。
アイリは胸をなでおろした。
アイリ自身、幾つかの独立運動組織と接触を持っているが、ブランカとは直接、対したことが無い。
ブランカがどう出るのか、アイリには読めなかった。
「食事を断ったそうですね」
戸口から、若い男の声がした。
初めて聞く声だった。
「我々の料理は、お口にあいませんでしたか」
細身の男が、ゆっくりとアイリに歩みよってきた。
胴色の髪。緑の瞳。整った顔立ちの男だ。
「そういうわけではないんです。私は、急激な環境の変化や心境によって、吐いてしまうたちなので。せっかく頂いても、すぐに戻してしまうんじゃ勿体無いじゃないですか」
「面白い人ですね」
男は微笑した。
「それに、綺麗だ。ですが、エイボン大佐の懐刀と呼ばれる人が、見かけどおりのはずはないですね」
「あの、お間違えじゃないですか。世間じゃ、キース・エイボン大佐の懐刀といえば邪眼のミラ、と決まってるんですが」
「世間がどう言おうともね。僕の認識では、エイボン大佐の懐刀といえばミイシ・アイリなんです。世間の常識より、僕は僕の調査能力と直感を信じていますので」
男はかがみ、アイリの目を真正面から見つめた。
「あなたを今の階級や職級で、はかってはいけない。僕の勘がやたら煩くそう告げる。何者なんでしょうか。あなたは」
男はアイリの首筋に、ぴたり、とナイフの刃を当てた。

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