金髪の少年

 その日、「あ」「ん」の門を守護していたのは、金髪の少年と、彼の師である自来也だった。
 木の葉の里には珍しく、雪が降っていた。
「こんな日は、きゅうっと熱燗を一杯、やりたいのう。オッパイのぱーんと張ったおねえちゃんと、さしつさされつ、な」
 成人にはまだ程遠い少年の前で、自来也はそんなことを言う。
 金髪の少年は、苦笑を浮かべた。
 自来也とスリーマンセルの仲間であった綱手姫は、自来也のことをインテリエロ助と称する。
 それは、よく師を言い当てている、と少年は思う。
 自来也は、知に優れすぎているがゆえに、あからさまな欲望を表に出すことで、精神のバランスを保っているのだろう。
 未だ異性への欲望を知らない少年は、そう師を理解しており、また、そんな先生が好きだった。
「先生。すぐに交替の時間がきますよ」
 宥めるとも慰めるともなく吐かれた少年の言葉が、途中で止まった。
 クナイを構える彼の横で、自来也もやはりクナイを手にする。
 門の向こうでは、いぜんとして雪が降り止まず、世界を白く染めていた。
 白の中に浮かびあがる、黒い点。
 それが、ゆっくりと大きくなっていく。
 やがて、人の姿となり、門まで来た。
 背が高く、細い。
 若い、ひどく若い男だ。
 雪と同じ銀色の髪を、肩のあたりでひとつに纏めている。
 マントで全身を覆い、胸の前で、何かを固く抱きしめている。
「止まれ。何奴だ」
 クナイを引かないまま、自来也は誰何する。
 銀髪の男には、顔にも、チャクラにも見覚えはない。
 木の葉の忍者でないのは、明らかだった。
 男が何かを言った。
 少年の、わからない言葉だった。
 男は、すぐに五大国共通語で言いなおした。
「サクモと申します。火の国、木の葉の里に、お助けいただきたく願います。どうか入場をお許しください」
「先刻の言葉、氷河の国の者か?」
 最初に男が発した言語に、自来也は聞き覚えがあったらしい。
 今は、インテリエロ助の、インテリの部分が出ている。
「そうです。氷河の国から来ました」
 自来也の合図に頷き、少年は式を飛ばす。
 火影の裁定を、あおがねばならない。
 もっとも、千里眼の水晶球を持つ三代目は、既に事態を察知しているかもしれない。
 氷河の国は、雪の国よりも、さらに北に位置する大国である。
 民衆による革命が起こり、皇帝がたおされ、亡命者が相次いでいる。
 この男も、その一人なのだろう。
「お疲れとはお察しするが、しばらくお待ちいただきたい」
 自来也の口調はだいぶん温かくなったが、まだ手から、クナイを離してはいない。
 男は、素直に首肯し、胸の前を抱きなおそうとして、そのまま、雪に膝を折った。
「大丈夫ですか」
 駆け寄った少年は、男が抱いているものが何か、初めて気付いた。
「先生!」
 困惑して、師を振り返る。
 生きているものの気配を発さず、声もあげず、動かない、それ。
 ひたすらに、男が抱きしめているもの。
「赤ん坊か……」
 自来也は、眉を潜めた。
「生きてるんだ!」
 男が叫んだ。
「ひどい道のりだったから、強引に眠らせてるだけで」
「仮死状態にして運んできたのか。だが」
 自来也は、その後の語を音にしなかった。
 しなかったが、サクモと名乗った男にも、少年にも理解できた。
 赤ん坊は、死にかかっている。
 男も弱りきっている。
ましてや赤子が耐えられるような、旅ではなかったのだろう。
「あの、その子を」
 少年は、サクモに手を差し出した。
 渡すものか、というように、サクモは、なおのこと強く赤ん坊を抱きしめる。
「暖めますから。火影様が来るまで、待っていられません」
 男を説得するだけの言葉を持たない自分をもどかしく思いながら、少年は、両手を精一杯にのばす。
 膝をついたままの銀髪のサクモは、少年を見上げた。
 蒼い瞳だった。
 少年の瞳も青い。
 真夏の空の色のようだ、と、よく喩えられる。
 男の瞳の蒼さは、少年のものとは違った。
 凍てつく海のような。
 冷たく、濃い蒼。
 それが、ほんの少し、和んだ。
 緩慢に、少年に赤子を手渡す。
 金髪の少年は、そっと胸に抱き寄せた。
 静かに、チャクラを送りこむ。
 師である自来也が、少年の名を呼んで、制止しようとした。
 火影の判断をあおぐ前に、勝手なことをするわけにはいかない。
 それは、少年にも、痛いほどわかってはいたのだ。
「でも、火影様が来るまで、待っていられません」
 さきほどと同じ科白を、主に自来也に向かって言い、少年はチャクラをコントロールする。
 遠い、北の国から連れてこられた子。
 今ここで、生命を果てさせるわけには、いかない。
 生きるんだよ。
 少年は、赤ん坊に、心の中で話しかける。
 おれのチャクラを、いや、命全部をあげるから。
 生きるんだよ。
 なぜ、見も知らないこの赤子に、自分がここまでの想いをいだくのか、少年にはわからない。
 わからないが、胸に、愛しさと祈りだけが満ちていく。
 自来也も、もう止めようとはしなかった。
 長い時間が過ぎたように、少年は思った。
 実際には、ほんの数分にも満たない間だった。
 少年のチャクラを注ぎ込まれ、体温を取り戻した赤ん坊が、泣いた。
 赤ん坊特有の、生命を謳いあげる泣き方で。
「カカシ!」
 銀髪の男が、震えた声をあげた。
 少年は、サクモに赤ん坊を返す。
 サクモは、カカシと呼んだ赤子を抱きしめた。
「カカシ、カカシ」
 その名だけを繰り返し、腕に力をこめる。
 赤子は泣きつづけていた。
「貴殿のお子か」
 今更のように、自来也が問う。
 はっとしたように、サクモは自来也を見た。
 そして、頷いた。
「そうです。私の子です」
「カカシ、という名なのですね」
 言葉を重ねた少年に、男は、微笑んだ。
「はい。カカシという名です。ありがとう。この子を助けてくれて。ほんとうに、ありがとうございます」
 サクモは赤子を抱いたまま、深くこうべを垂れた。
 それは、サクモが木の葉に叩頭した瞬間でもあった。
 カカシは、サクモの腕の中で、まだ泣き続けていた。

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