金髪の少年 11

暗部装束を解き、通常の任務服になったはたけサクモを伴い、金髪の青年は、帰還報告を火影になした。
執務室で、三代目はただ頷いた。
「詳しい報告書は後ほどとしまして。カカシくんを迎えに行きたいのですが」
アカデミーに通うカカシは、火影屋敷で日常を過ごしているはずだった。
青年の言に、三代目はキセルを吸い、煙と嘆息とを同時に吐く。
「カカシはうみのの自宅におる。カカシをアカデミーにやったら、アスマが自分も行くと騒ぎだしての」
三代目の末息子アスマは、カカシより一歳年長だ。
同じ年頃の子とあって、アスマの母も何くれとなくカカシの面倒をみてくれており、男の子たちは兄弟のように育っていたのだが、それだけに負けん気や張り合いの心も起こる。
「さすがに、まだアスマはアカデミーにやれるような状態ではないしのう。見かねて、うみのが連れていった」
なんとなく想像がつき、金髪の青年は笑んだ。
子供同士の意地は、ときに大人のそれより苛烈だ。
「それでは、カカシくんは、今も、うみの先生のお宅に?」
「ああ」
「では、お宅の位置を教えてください。そっちに迎えに行かなくちゃ。ね、サクモさん」
青年はサクモを見やる。
サクモは、眉間に皺を寄せていた。
不快を示しているというわけではなく、何かを一心に考え込んでいるようだった。
「サクモさん?」
青年がもう一度、呼ぶと、やっと気付いたように、サクモは愁眉を開いた。
「あ、はい。迎えに行かなくては」
「なんじゃ、サクモ。気に入らんことがあるのか」
三代目も、サクモの表情を見逃しはしなかった。
「なんでもありません」
サクモは、慌てて打ち消した。
そして、常の柔らかな笑みを浮かべる。
「カカシは、うみの先生にご迷惑をお掛けしていませんでしょうか」
「カカシは賢いからの。そう、面倒でもないようだの」
どことなく我が子自慢のような口調だ。
青年は苦笑する。
三代目は、親代わりだから、と理由をつけてはカカシの様子を見にいっているのだろう。
「逆に、イルカの世話もよく手伝っておるようだわ」
「イルカ?」
サクモが、その名を繰り返す。
「うみのの子じゃよ。うみのの連れ合いも忍で、今回の戦に従軍はしとらんが、その分、任務に飛び回っておるからの」
「イルカ…」
サクモは、口の中でその名を呟く。
怪訝そうな三代目と青年に、はっとしたように、サクモは表情を戻した。
「いい名前ですね」
取ってつけたようなその言葉に、青年は不審を隠せなかったし、三代目も納得したような顔は見せなかった。
だが、それ以上は、サクモが語ろうとしなかったので、うみの宅の位置を教えられ、青年とサクモは火影の前を辞した。

うみのの自宅は、住宅街の一画にあった。
ああ、里に帰ってきた。
青年は金髪を揺らし、深く息を吸った。
ちょうど昼時とあって、食事の支度をする匂い。
こどもが歌う声。
暖かな、春の朧の空気。
戦場とは、何もかもが違う。
呼び鈴を押しても返事がなかったので、庭に回り、鍵のかかっていない木戸を、男たちは押した。
「イルカ、イルカ。こっちだよ」
カカシの、声だった。
春の花を咲かせてある庭の真ん中で、カカシが両手を広げて待っている。
「にーに」
黒髪の赤ん坊が、小さな手を広げて立っている。
カカシのほうに行こうとするのだが、まだ、独り歩きは覚束ないようで、そのまま這い這いの姿勢になった。
「イルカってば、赤ちゃんなんだから」
とことことカカシは駆け寄り、黒髪の赤ん坊を抱き起こす。
「だーめ。いっつもオレが行くこと、できないんだから。イルカがあんよしないと」
カカシの髪の銀色が、春の淡い光にはじける。
黒髪の赤ん坊は、嬉しそうに笑い声をあげる。
銀の髪のこどもと、黒い髪の赤ん坊。
まるで、芸術家が最初から対で描いたように。
無垢なるものに無垢を重ねたような。
美しい、光景。
「カカシくん、イルカ、昼飯が」
大人の男の声で、静止画の時間が動いた。
家屋から出てきた黒髪の男、うみのは、仰天したように、青年とサクモを見つめている。
金髪の青年もサクモも、無意識のうちに気配を消していた。
消していたことに、青年は気付かなかった。
「ただいま、戻りました。ここは、三代目にうかがいまして」
遅まきながら気配をまきちらし、青年は笑顔で言う。
気配もなくぼうっと立っていたら幽霊だよ、と自分で自分に笑いながら。
「あ、は、はい。おつとめ、ご苦労様でした」
うみのは、転がるようにして、庭に出てきた。
「父さま! 兄さま!」
カカシが、歓喜に満ちた声をあげる。
「ニエット」
短く、低く、サクモが呟いた。
顔が、それこそ幽霊のように蒼白だった。
そのまま、青年にはわからない言葉、氷河の国の言葉だろう、それでカカシに何かを言う。
サクモは、氷河の国の言葉を発したことにも、気がついていないようだ。
そばに来たうみのがイルカを抱きあげ、カカシは、サクモと青年に近づいてくる。
その顔は、ひどく不安そうだった。
「サクモさん」
青年も、カカシに負けず、不安だった。
カカシが、父に向かって何かを言った。
青年にはわからない言葉で。
青年の背筋を、ぞくり、と駆け抜けていくものがあった。
サクモとカカシと、ずっと一緒に暮らしてきた。
そして、青年は聞いたことが無かった。
親子が、氷河の国の言葉で会話するのなど。
カカシが、氷河の国の言葉を理解していることなど、青年は知らなかった。
「カカシ、カカシ、カカシ」
サクモはしゃがみこみ、カカシを抱きしめた。
強く、誰にも渡すものか、というように。
「あ」「ん」の門で、初めて、青年が出会ったときのように。
カカシは、小声で、同じ語を繰り返す。
イズビニーチェ、と、青年の耳には聞こえた。
たぶん、カカシはサクモに、謝っている。繰り返し。
そのとき、大地を割るかと思うような大音声が響いた。
うわーん、うわーん。
うみのの腕の中で、黒髪の赤ん坊が泣いていた。
この世に生まれ出でたときのように。
母を奪われたかのように。
臓腑を吐き出す勢いで、赤子は泣く。
「イルカ、どうしたんだよ。イルカ、ほら」
困ったように、うみのがあやす。
父の腕の中で揺すられ宥められても、赤ん坊は泣きやまない。
先刻、カカシに向かって機嫌よく笑っていたときとは、別の生き物のようだ。
咄嗟に、金髪の青年は、赤ん坊のそばに寄って、手を差し出していた。
カカシが泣きやまないときには、サクモと交代で抱きつづけた。
その習慣が、身体にしみついている。
困り果てたらしいうみのが、青年に赤子を渡す。
顔を真っ赤にして、赤子は泣く。
赤ん坊を自分の腕にした途端、青年の脳に直接、思念が入り込んできた。

いない。いない。
にーに、どこ。
だめ。
だれにも あげない。
かかしは
いるかの
かかし かかし かかし

己を庇護してくれる者を呼ぶのではなく、やっと見つけた半身を恋うている。
ただ、恋うている。
カカシは、サクモの腕の中で身をよじって、イルカを見ようとした。
だが、サクモはそれを許さない。
金髪の青年は、泣くイルカを、少量のチャクラで包んだ。
心配しなくていいから。
引き離したり、しないから。
心のうちで話しかけながら、チャクラをふるわせる。
ぴたり、と、イルカが泣きやんだ。
きょとん、と黒い瞳で、青年を見あげる。
そして、小さな手で青年の胸のあたりを掴み、笑った。
かかし。
強烈に名が刻まれた後、青年の脳には、もう情報は送りこまれてこなかった。
普通の赤ん坊だけが、いた。
イルカを抱いたまま、青年はサクモを振り返った。
青年の視線を受け、サクモは俯いた。

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