金髪の少年 12

ゆっくりと、金髪の青年は腕を揺らす。
いつもサクモがカカシに歌ってやっていて、青年も覚えてしまった、祈りのような、子守唄のような、それを口の中で唱える。
氷河の国の言葉なのか。
仙山の祈祷の文句なのか。
サクモに訊ねたことはない。
意味もわからない。
ただ、それがおさな子の眠りを誘うことだけを知っている。
果たして、さっきまで命の限り泣いていたイルカも、赤ん坊らしい、すとんとした眠りに落ちていった。
その寝息を確かめて、青年は赤子をうみのに返す。
「あ、ありがとうございます。あの、良かったら、一緒に昼食をとっていかれませんか」
うみのはイルカを抱きなおしながら、青年と、カカシを抱きしめたままのサクモとを、交互に見やって、言う。
青年は、サクモを振り返った。
サクモは、カカシを抱きしめて立ちあがり、小さく首を横に振る。
「すみません。このまま失礼します。改めて、ご挨拶に来ますので」
「あ、じゃ、カカシくんの着替えや、いろいろ」
慌てたふうのうみのに、青年は、社交用の笑みを見せる。
「それも、後ほど、参ります。カカシくんのこと、ありがとうございました」
近づいてこようともしないサクモのかわりに、青年は丁寧に礼をする。
「いえ、そんなこと」
うみのは、カカシを抱いたサクモに、困惑したような視線を送った。
サクモは、目礼だけを返す。
うみのは目を伏せた。
なんだろう。
そのうみのの表情が、何かを青年に伝える。
何か。かすかすぎて、青年にも正体が掴めないが、確かに存在するもの。
サクモが、青年の名を呼んだ。
青年は、もう一度、うみのに礼をし、サクモに続いて、入ってきた木戸から出た。
誰も無言のまま、しばらく道を行く。
「父さま、降ろして」
不意に、カカシが要求した。
サクモは黙って、カカシを道に降ろす。
カカシは、青年の前に回ってきて、両手を差し伸べる。
「兄さま、抱っこ」
「ん、カカシ、どうしたの?」
青年はカカシを抱き上げて、問う。
カカシが、父から離れようとすることは珍しい。
問いには答えず、カカシは青年の胸に顔を擦りよせる。
青年も、腕に力をこめる。
小さな、暖かい身体。
イルカと並んでいたためか、ずいぶんと大きくなったような気がしたカカシは、まだ、やはり小さな子だった。
凍っていた血があたたかく溶けて、全身をめぐっていくような。
憂いも消えていくような。
カカシを抱きしめた瞬間にしか味わえない、安堵と幸福を青年は感じる。
「ただいま。カカシ」
青年が言うと、カカシは顔を上げ、にこりと笑った。
「お帰りなさい」
自分は、戦場から生きて、里に帰ってきた。
青年は実感する。
あるべきものが、あるべき場所に戻ったような感覚だった。

風を入れ、長いこと空けていた家を住める状態にしている間に、時間が過ぎた。
昼食も、夕食も、出来合いですませた。
サクモは、極端に口数が少なかった。
会話は、ほとんど青年とカカシの間でしか、なされない。
風呂に入り、カカシを寝かせつけてから、青年は酒瓶を持って縁側に座った。
「サクモさん、呑みましょう。帰還祝いです」
「はい」
サクモは、ぐいのみを二つ用意し、青年の隣に座す。
洗いたての銀髪は、まだ括られておらず、春の夜風にそよいでいる。
浴衣からのぞくサクモの胸元は、おそろしく白い。
同じく浴衣がけで片膝を立て、朧な月を見たまま、青年は片手で酒を飲み干す。
視線をサクモに遣らず、青年は言う。
「あなたは、まだ秘密を隠している」
「そんなつもりでは! そんなつもりでは、なかったんです!」
サクモは、固く握った拳を、己の膝で震わせていた。
「このまま、何事もなく生きていければ、いえ、生きていけると思っていました。あなたと私とで、カカシを守っていけると」
「守るにしても、すべてを聞かせてもらわなければ、どうにも出来ません」
酷薄に聞こえるほどに、青年は素っ気無く言う。
サクモは、蒼い瞳を青年に当てた。
怯えているように、青年には見えた。
サクモは、口をつけないまま、ぐいのみを置いた。
静かに、語を発する。
「カカシは人の心を読みます。そして、言葉を使わず、心で直接、話しかけることができます」
青年は表情も変えず、器に酒を注ぎ、また飲み干した。
サクモの言葉は続く。
「血継限界なのでしょうか。氷河の国では突然、そういう子が生まれます。貴族や皇家に出た場合、仙山に送られます。それ以外の家では、いえ、貴族であっても、わかった時点で、親がその子を殺します。もっとも忌み嫌われる、根絶すべき力とされているのです」
「その力、あなたにもありますね?」
なんでもないことのように、青年はきく。
サクモは、身を震わせた。
「ごく弱いものですが。私は、弾き返す力のほうが強いのです」
「弾き返す?」
青年は、ぐいのみを靴脱ぎ石に叩きつけた。
割れて砕ける器に、サクモが目を丸くする。
青年は、サクモの肩を押さえつけ、押し倒した。
サクモはただ、驚いている。
「なぜです? なぜ、独りで抱え込んでいたんです? 弾き返す。その通りだ。誰も彼も近づけさせないで、排除して。おれまで、おれまで、弾き返して、近づけさせていなかった! 求めているような素振りだけして!」
そうだ、サクモはずっと怯えていた。
今でも怯えている。
自分以外には心を許していない、と危惧していた。
だが、違った。
サクモは、自分にさえも心を許していない。
カカシを抱きしめて、門の前に現れたときのまま。
弾き返す。
好意も愛情も、何も、この男には伝わらない。
青年は、荒々しく、サクモの胸元を噛んだ。

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