金髪の少年 13

欲望ではなかった。
怒りだ。
道具として扱え、と、命令するだけでいいのだ、とサクモは言った。
それを金髪の青年は、忠誠と受け取った。
そうではなかった。今、わかった。
サクモ自身が青年を、道具と、命令するだけの者と、そう決めているのだ。
青年の心など、何も関係なく。
サクモの肩から浴衣を落とし、やみくもに噛み跡をつける。
このまま、食らってしまいたい。
抵抗するでもなく、ただ驚いていたサクモが、ゆるく手を伸ばした。
瞬間、青年は身を固くする。
サクモは、自分に覆いかぶさる青年の、金色の髪を撫でた。
戦場で、たまらなくなって彼を抱きしめたときと同じように。
いや、もっと優しく。
カカシにするように。
おさな子をあやすように。
青年は、泣きたいような気持になった。
全く知らない土地で、迷子になったような心細さが襲ってきた。
そこに生まれて、ずっと住んでいるのに、全く知らない土地。
ずっと暮らしているのに、自分を知っている者も、愛している者も、誰もいない場所。
青年の脳裏に、一面の雪景色が広がった。
石造りの窓から、吹き荒れる雪だけを見ている。
ーサクモー
誰かが呼ぶ。
ー妖魔が接近している。神殿の中に入れるな。ー
ーはい。ー
返事をして、彼は白光刀を握りしめる。
彼に掛けられる言葉は、命令だけ。
外の寒さに、身を案じてくれる者は、誰もいない。
妖魔。
外敵は、たとえあやかしの存在でなくても、仙山ではそう称する。
同じ人間でも。同じ氷河の国の民でも。
仙山が敵だと、妖魔だと判断したものは、サクモが斬りすてる。
傷を負い、血にまみれていても、心配してくれる者はいない。
サクモは慣れた仕草で、自分で手当てをする。
弾き返す者。人と交われない存在。
仙山でのサクモの認識は、殺されはしないだけで、妖魔と変わりはなかった。
それが孤独だと、サクモは思ったこがなかった。
人と交わったことがなかったから。
比べることが出来なかったから。
ーそれを寂しいというのだよー
自分が泣きそうになりながら、そう言った黒髪の少女。
「寂しいなど弱者の感情です。神聖不可侵の姫様が、いかがなさいました。強くあれば、そのような感情とは無縁です」
サクモは、書物で学んだ言葉を並べる。
それしか、知らなかったから。
少女は笑った。
すべてを知り、諦め、悟った、百年も生きた人間のように。
ーどんなに強くなっても、もっと寂しくなるだけだ。私は寂しいよー
サクモは、雷に打たれたような衝撃を受けた。
百年に一度の霊力を持つ、稀代の巫女姫。
その巫女姫が、寂しい、と言った。
寂しい、と。
剣の束を握りしめて、サクモは言う。
ーサクモがお側にありましても、姫様は、お寂しいのですかー
巫女姫は、肯定も否定もせず、言った。
ーサクモが居なくなったら、もっと寂しいだろうなー
ーでは、サクモは、いつでも近くにありますからー
サクモは、祈りを捧げるときよりももっと厳粛な気持で、誓った。
それからは、巫女姫を守るために、戦った。
巫女姫に笑ってほしかった。
だが、姫のサクモに見せる笑みは、どこかいつも悲しそうだった。
巫女姫の顔が、曇りのない笑顔で輝いたのは。
若い皇子と出会ったとき。
彼は、革命の気運に満ちた氷河の国を、仙山と共にのりきろうと皇帝の委任を受けて、仙山にのぼってきた。
恋というものを、手で掴めるような感触で、サクモは間近に見た。
姫と皇子を繋ぐ役割を、当然として果たした。
仙山の掟や、巫女姫の神聖さ、など考えもしなかった。
だって、姫様は笑っている。
もう、寂しくはないのだ。
必ず、迎えに来るから、と言い置いて皇子は下山した。
なぜか、その言葉は叶わないように、サクモは感じた。
巫女姫も、感じていたのだろうか。
ますます氷河の国は揺れ、皇帝が退位し、皇子が帝位を継いだ。
そして、革命軍に処刑された。
仙山からも、次々と人が去った。
そのときには、仙山に寄せられるのは、信仰心による畏怖と尊敬ではなく、長年の権力への憎しみのみとなっていた。
巫女姫を害するものは、すべて妖魔としてサクモが白光刀で斬った。
サクモが白光刀を用いて、仙山で最後に斬ったのは、生まれたばかりの赤子の臍の緒だった。
ーその子の名前はカカシだ。その子が、もう、おまえを寂しくはさせない。カカシを連れて行け。南へ、火の国へー
それが、最期の言葉だった。
サクモは、巫女姫の瞼を永遠に閉じ、赤子を抱いて、仙山を降りた。
眠らせたカカシを抱きしめて。
サクモは、過酷な旅を貫いた。
火の国、木の葉隠れの里。
そこは、忍の隠れ里で、現火影は、優れた指導者だという。
そこへ行けば。
そこへ着きさえすれば。
大門が見えたとき、サクモの心に満ちたのは、安堵ではなく絶望だった。
ここまで、耐えてくれたカカシ。
だが、もう、命の火が尽きかけていることは、サクモにもわかっていた。
辿り着いただけで。
辿り着いただけで、許してくださいますか? 姫様。
カカシと一緒に、サクモが参ることを、許してくださいますでしょうか。
大柄な白髪の男と、金髪の少年に誰何されながら、サクモは、胸の中で、巫女姫に詫びていた。
けれど。
ー暖めますからー
金髪の少年が、青い瞳をサクモに当て、両手を差し出す。
自分の蒼い瞳とは違う。
鮮やかな、空の色をしている瞳。
少年のまわりだけ、光度が高い。
雪が降りつづいているのに、寒さを感じさせない。
サクモは、そっとカカシを手渡した。
金髪の少年が、カカシに命を吹きこんでいく。
金髪の少年の命を、カカシに分けあたえてくれている。
止めなければ。
サクモは、止めなければならないと知っていた。
そんなことをしたら、少年とカカシは、同じ命を生きることになってしまう!
それは、人のさだめに外れたことだ。
しかし、サクモは止めることが出来なかった。
カカシの、二度目の産声を聞いてしまって。
恐ろしい技をなしたというのに、何事もなかったように、にこにこ笑っている金髪の少年を見て。
姫様、火の国に行けというのは。
サクモは、カカシを抱きしめる。
この方に出会うためだったのですね。
私とカカシは、この方のために、命ながらえたのですね。
姫様、私はもう、寂しくはありません。
サクモは、胸に広がる光を感じながら、金髪の少年に叩頭した。

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