日光に行こう!(現代O阪人パラレル)

カカシが、小さな手にリモコンを持って、一生懸命にテレビのチャンネルをかえている。
サクモは俯き、洩れるか洩れないかのため息をついた。
暮れゆく時刻、大正時代特有の歪みを持ったガラス窓の外で、まだ明けないつゆの雨が細かく降っている。
ちょうど枠にはまって、煙るように影が映っているサクモは、英国ヴィクトリア朝の名画のようだった。
「ミナト」
うっとりと見惚れていた青年の名を、サクモは決死の表情で呼ぶ。
「どこの天気予報でも、甲子園の天気、言わへんのですけど」
ミナトは苦笑した。
「そら、西宮の天気なん、今の栃木県民が必要とせん情報ベストスリーに入るんちゃいますのん。今、パソコン、開きますから」
持参した薄型のパソコンを、ミナトは鞄から出して繋ぐ。
お気に入りに、ちゃんとタイガーズの公式サイトを入れている。
「ん! 出てますわ。向こうも雨で、中止ですて」
目に見えてわかるほど、サクモはがっくりと肩を落とした。
今日から、ジャイアンツと首位をかけての直接対決、三連戦だった。
虎は非常に調子がよく、今日、勝って、〇.五のゲーム差をひっくり返し、ペナントレースの首位に立つはずであった。
と、サクモは信じていた。
「とうさん。あめやから、とうしゅもせんしゅも、ゆっくり、やすめて、あしたは、かつよ」
カカシが、必死で慰めている。
齢六歳にして、サクモのツボを心得ている。
なにしろ、最初に喋った言葉がパパ、次がマンマ(御飯のほうらしい)、にーに、そして、初めての文は「はんしん、かった」であるから、家庭の事情が、だだもれである。
「まあ、気を取り直して、夕食まで、ホテル内の見学、しましょ。おもろい歴史がめっちゃあるみたいですよ、このホテル」
ミナトは、サクモの髪を、軽く手櫛で直す。
「そうですね、せっかく、ミナトが当ててくれたんやからねえ」
サクモは淡く笑み、カカシの手を引いて立ちあがった。

事の起こりは、この春だった。
波風ミナトが、クラシックホテルに泊まる日光の旅一泊二日(ペア券)を、雑誌の懸賞で当てた。
「おっしゃあ。ハガキ、百五十枚、出したかいがあった! サクモさん、カカシ、夏休みに入る前の土日で、行きましょね」
チケットを指に挟み、ミナトは満面の笑みを浮かべる。
マンションのリビングで寛いでいたはたけ親子、父のサクモも、息子のカカシも、乗り気ではない様子で言う。
「百五十枚て。ハガキ代で、普通に一泊、出来ますよ」
「日光は、オレ、六年生になったら、修学旅行だから、いい」
ミナトは、サクモの眼前に立つ。
「サクモさん、何、言うてますのん。五十円かける百五十枚やったら、大人一人分の宿泊代も出えへん、高級ホテルですよ」
「ハガキ、書く労力、思たら、お金を払って、予約したほうが。そのくらいの稼ぎは、あるつもりですけど」
「サクモさんは稼いでますよ。せやから、その慰労会のつもりで。ご招待て、ええ言葉ですやん」
ミナトは、ソファに座していて低い位置にあるサクモの額に、キスをする。
「あ、カカシくん、行かへんのやったら、留守番、しててね。俺とサクモさん、小学校の修学旅行では、絶対、泊まらんホテルに、二人きりで泊まって、小学校の修学旅行では、絶対、行かへんところに、二人きりで行って、小学校の修学旅行では、絶対、食べへん…」
ミナトの言葉が終わらないうちに、カカシは泣きだした。
「いやや。るすばん、いやあ。かかしも、いく」
最近は、家の中でも学校と同じように、標準語で話すことが多いカカシだが、関西弁にだけではなく、幼い口調に、すっかり戻っている。
「ん! はじめから、そない、言うたらええねん。お隣のイルカちゃんに、ええお土産、買うてこよな」
ミナトは大きな掌で、カカシの頭を撫でる。
カカシは、まだ泣きやまないで、サクモの胸に、顔を押しつける。
そのまま、サクモはカカシを抱きあげた。
「カカシ、一緒やから。一緒に行くから。ミナトも意地悪、言わんと」
「悪いん、おれだけですか。先に、カカシが、修学旅行やからって」
「いい、いうただけで、いかへん、いうてへんもん!」
サクモに抱きついたまま、カカシは、ミナトに反撃する。
「せやから」
サクモは、我が子の薄い背をさする。
「みんなで、行こう。せっかく、ミナトが当ててくれたんやし」
「そうそうそう。最初から、そない言うてくれはったら、ええんですよ」
ミナトは、至極上等の笑みを浮かべた。

ペアご招待券といっても、カカシの分を追加しなければならないし、往復の交通費、食事代は、自前である。それは、当然、自分が出すものであるとサクモは思っていた。
はたけサクモは、グラフィックデザインを仕事としている。
大手から指名されることもたびたびで、現在、金銭に、不自由はしていない、はずである。
家政も家計も、ミナトに任せきりなので、サクモは、実際のところの細かい金額などを知らないでいるのだが。
ミナトは言う。
「今回は、全面的に、おれのご招待ですからね」
「え。それて、どういうことですか」
サクモは驚く。ミナトは、今年、大学に入ったばかりなのに。
「実は、自来也先生んとこの事務仕事、おれが全部、やったんですわ。税理士さんが入る前の伝票整理も何も、してはらへんのですもん。で、報酬、はずんでくれはりました。その、おれの慰労も兼ねてます」
「そう。自来也んところの」
サクモは納得する。
自来也は、サクモの中学、高校の同期、数少ない友人で、今は、作家として活躍している。
放浪癖があって世界中を旅して回っており、戦災孤児であったミナトを連れ帰って養子にし、サクモのところに預けていった張本人でもある。 自来也の性格からして、事務作業に手を焼いていたのも間違いのない事実だろうが、ミナトに小遣いをやりたかったのも事実だろう。
法律上、自来也は父で、ミナトは息子なのだから。
「自来也も、よんだら、よかったのに」
サクモが言うと、ミナトは肩をすくめた。
「そうしたいんは、やまやまやったんですが、自来也先生、〆切、どんだけ破って、引き伸ばしてるか。呑気に旅行なん、してる場合、ちゃいます」
「うわあ」
サクモは、自分で自分の肩を抱く。気質的に、〆切を破る、納期を伸ばしてもらう、ということが、いちばん恐ろしくて出来ない。
「ん! せやから、自来也先生は、放っといてええです。おれのおれによる、サクモさんのための旅行、楽しみましょ」
「かかしが、はいってない」
また、カカシが泣きだした。そこまでの話はよく、わからなかったようだが、旅行に置いていかれそうになったトラウマ、ミナトの意地悪は、まだ効いているようだ。
「サクモさんのため、いうことは、カカシのためも入ってるに決まってるやん。サクモさんが楽しかったら、カカシも楽しいやろ?」
優しい口調で言い、ミナトは、カカシの頬にキスをする。
「とうさんが、たのしいかったら、ええけど」
しゃくりあげながら、カカシは、むりやり、納得させられる。
「ほんまは、日光いうたら、紅葉やけど。きっと、青葉の日光も綺麗ですよ。オフシーズンやから、ご招待券が当たった、なんて思たら、あかんですよ」
自ら、内情を暴露しているミナトだった。

そして、スペーシアに乗って、三人は、東武日光駅に着いた。

戻る 次へ