熱い雪 1
真冬の、凍てついた月があたりを照らす。
波風ミナトは、大通りを外れて、樹木の多い小道に入った。
女性と抱きあって過ごした帰りだというのに、からだの奥に熱が燻っている。
里に帰還したばかりで、まだ戦闘時の昂ぶりが収まらないのか。
欲が再燃しているのか。
なにしろ、自分は若い。
ミナトは自嘲する。
若すぎる。
彼の行くところ、行くところに、ついて回る言葉である。
十の年に下忍になってから、中忍、上忍と階級が上がるにつれて、それは囁かれた。
戦場で、二つ名をさっさと頂いたときも。
スリーマンセル時代の師が自来也だったからと言い訳をするわけでもないが、幼いと言っていい年齢で女のからだを知ったときも。
時間を駆け抜けるように、生きてきた。
裸のままで生きてきた。
若すぎる。
その言葉だけを、彗星の尾のように引き連れて。
ふ、と冷気が、ミナトの首筋をかすめた。
木の葉の里には珍しく、雪になるのかもしれない。
ミナトは足を止めて、空を見上げる。
予想通り、白いものが眼前を掠めた。
白いもの?
ミナトは、とっさにクナイを構えた。
「なぜ、武器なんて持つんですか?」
樹から白い影が降りてきて、男の形をとり、柔らかな声を発した。
クナイを降ろすことが、ミナトには出来ない。
白く、長い髪を背に流して。
長身痩躯を、ゆったりとした服に包んでいる。
冬の凍えた月の、化身のような姿。
瞳の蒼さだけが、彩りになっている。
白い男が、ミナトの両肩に手を置いた。
ミナトは、身じろぎ一つ、することができない。
男が、そっと顔を寄せてくる。
目を見開いて、ミナトは接吻を受けた。
甘い。
全身が蕩けるような甘さの、接吻。
いつのまにかクナイを地に落とし、ミナトは男の肩を抱き寄せていた。
背を掻きいだくようにしながら、ミナトから口付ける。
男は、ふわり、と笑んで、背をそらせる。
さらに強く男のからだを拘束し、ミナトは、男の口内を支配した。
熱い。
気持ちがいい。
頭のなかが、からっぽになる。
白く、灼かれる。
男を抱きこんで、唇をはなし、ミナトは大きく息を吐く。
「女の匂い、きらいなんです」
唐突に、男が言った。
「え、あ、はい」
ミナトは、意味もなく自分の任務服を見おろす。
「明日は、女の匂いをつけないで、来てくださいね」
白い腕がのばされる。
その指の先を、ミナトは振り返って見る。
「ここの道を出て、大通りをしばらく行ってから、右に曲がってください。蜜柑の木が目印です」
黙って、ミナトは、男の言を脳に焼きつけた。
「カカシがいますから」
「カカシ?」
問い直すミナトに答を与えることはなく、白い影は、現れたときと同じ突然さで消えた。
幻術か。
物の怪の類に、たぶらかされたか。
判然としないまま、ミナトは、そこに立ち尽くしていた。
調べようと思えば調べることは、できた。
人に尋ねることだって、簡単だった。
だが、ミナトは何もせず、教えられた道順を辿った。
今夜も冷えていた。
冴えた空気に、木に残されたままの蜜柑の色が眩しい。
生垣に囲まれた、立派な屋敷だった。
門は施錠されておらず、押せば開く。
砂利を踏んで、中庭を抜ける。
こどもの笑い声がした。
ミナトは総毛だった。
やはり、自分は越えてはならない線をこえて、妖しの世界に至ったのだろうか。
「だあれ?」
澄んだこどもの声が、無邪気に尋ねる。
白いこどもだった。
昨夜の男を、そのまま小さくしたような。
違うのは、髪を短くしていることと、瞳の色が黒いことか。
こどもの足下で、蹲った犬が唸る。
普通の犬ではない。
忍犬だ。
ミナトは、しばらく、こどもと無言で対峙した。
忍犬の、ぐるるるる、という呻きだけが響く。
「このひとは、波風ミナトという名前だよ」
また、突然だった。
柔らかな、男の声がする。
ミナトは、まったく気配を読めなかった。
「父さま、お帰りなさい」
「カカシ、ただいま」
男はしゃがんで、こどもが抱きついていくるのを受けとめる。
男は任務服を纏い、木の葉の額宛をしていた。
白い髪を一束縛りにして、背に垂らしている。
口布は顔の大半を覆っており、蒼い瞳のいろしかわからない。
その目を弓なりにして笑い、カカシと呼んだこどもを抱きあげながら、男はミナトに言った。
「夕食にしましょう」
「いえ、あの」
ミナトは口ごもる。
「時間が遅くなったので、配達を頼みました。すぐに届きます」
「おれの分も?」
ミナトは、目を丸くする。
「もちろん」
なにを当たり前のことをきく、という顔を男はした。
「おれが、必ず来る、と?」
「迷うような道ではなかったでしょう? 方向音痴ですか?」
男は、ますます怪訝そうな表情になる。
「方向音痴では、ないです」
ミナトは、小声で答える。
「よかった」
男は笑い、カカシを抱いたまま屋敷内へ入っていく。
躊躇いながらも後を追おうとしたミナトの踝に、痛みが走った。
見ると、忍犬が噛みついている。
ミナトの視線を受けて忍犬は歯をはなし、顔を上げた。
「今しかない。今なら引き返せる」
犬は言った。
忍犬には人語を解するものも多い。
最初から、忍犬だと承知していたから、犬が喋りだしたことに、ミナトは驚きはしなかった。
この警告に従ったほうがいい、と本能が告げる。
瘧のように、身が震える。
「すみません」
やっと出した声も、震えていた。
「おれは帰ります」
男と腕の中のこどもは、驚いたような、同じ顔をしてミナトを振り向いた。
「夜分に、失礼いたしました」
重い泥を掻き分けているような感覚を味わいながら、ミナトは踵を返す。
小さな足音が迫ってきた。
カカシがミナトの前に回りこみ、顔を見あげる。
「帰るって、おうちに帰るときに言うんだよ」
カカシの黒い瞳が、ミナトをじっと見つめる。
「おうちは、ここだよ。おうちから出て行くのは、行ってきます、だよ」
澄んだ高い声で、頑是無い幼児に言い聞かせるように、カカシは言う。
「暗い夜になってから、行ってきます、は言わないんだよ?」
「そう。夜に出て行くのは悪い子だものね」
ゆったりと、白い男がカカシに歩みより、その頭を撫でる。
「カカシはいい子。ミナトもいい子」
歌うように言い、男は再びカカシを抱きあげて、ミナトに視線を送ってくる。
「ミナト」
逆らえなかった。
忍犬が、ミナトを憐れむような目で見た。
「もう、逃げられんな、おまえは。つかまった」
「ごめんね」
ミナトは、忍犬に心から言い、男に向かって歩を速めた。
先刻とは違い、男に向かっていく足は、ひどく軽かった。